アーヘン
( Aachen
 別称  : エクス・ラ・シャペル
 分類  : 都城
 築城者: 不明
 交通  : アーヘン駅徒歩5分
 地図  :(Google マップ

       <沿革>
           都市としてのアーヘンが史料上に初めて現れるのは、8世紀中ごろにフランク王国の王ピピン3世
          (小ピピン)が湯の湧く村に宮廷の1つを置いたとするものである。ピピン3世の子カール大帝の代に
          王宮が建設され、事実上の首都となった。936年に神聖ローマ皇帝オットー1世がアーヘン大聖堂
          で戴冠して以来、600年にわたりアーヘンは歴代ドイツ王が戴冠式を執り行う地となった。
           12世紀半ば、皇帝フリードリヒ1世(バルバロッサ)によって市壁が築かれ、「バルバロッサの壁」
          と呼ばれるようになった。1248年、フリードリヒ1世の孫フリードリヒ2世の対立王として擁立された
          ホラント伯ウィレム2世は、帝冠を求めてアーヘンを包囲した。このときウィレム2世軍はアーヘンの
          周囲の川を堰き止め、水攻めにして降伏させた。
           1349年に今も残る市庁舎が建てられ、新たな外郭の城壁も設けられた。やはり現存の「行軍門
          (Marschiertor)」も、このころに築かれたと考えられている。
           1668年には、ネーデルランド継承戦争の講和条約(第一次アーヘン和約)がこの地で結ばれ、
          1748年にもオーストリア継承戦争における第二次アーヘン和約が締結された。
           18世紀末のフランス革命に際して、アーヘンはフランスに併合されたが、1814年のウィーン会議
          の結果プロイセン領となった。以後、ドイツ国家の都市として現在に至っている。

       <手記>
           ケルンの西、フランスやオランダとの国境近くに位置するアーヘンは、世界遺産の大聖堂で有名
          な町です。歴代の皇帝が戴冠したということで歴史的にも重要な土地なのですが、現在ではわり
          と静かな観光の街といった印象です。
           教会や市庁舎しか残っていないのであれば、城跡として扱のは適当ではないでしょうが、この町
          には現存の市門としては西欧最大といわれる前出の「行軍門(マルシーア・トーア)」があります。
          他にも、市街周囲には城壁や塔の跡が残っているということですが、私が訪れた際には見ず終い
          でした。
           ちなみに、アーヘンとは鉱泉を意味するドイツ古語から来ており、もともとはローマ軍の保養所と
          して建設されたものでした。今でも市内には鉱泉が湧出していて、観光案内所脇の飲泉所では
          飲んでみることもできます。フランス語では「礼拝堂の泉」という意味の「エクス・ラ・シャペル」と
          呼ばれています。日本人にはこの方がエレガントに聞こえるのか、こちらの呼び名を耳にすること
          もしばしばあるように感じます。

  
 行軍門(マルシーア・トーア)。
アーヘン大聖堂と聖フォイラン教会。 


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