赤石城(あかいし)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 赤石左衛門尉
 遺構  : 土塁、堀跡
 交通  : JR両毛線/東武伊勢崎線伊勢崎駅徒歩20分


       <沿革>
           赤石左衛門尉によって大永年間(1521〜27)に築かれたとされる。赤石左衛門尉や赤石城に
          ついては、南東2qほどの伊勢崎城の旧名が同じ赤石城であることから、混乱がみられる。
           文献によっては、左衛門尉が後に伊勢崎の赤石城を築いて移った、あるいは左衛門尉は那波
          氏家臣で主命を受けて伊勢崎の赤石城を新たに築いたなどと書かれているが、証拠は示されて
          いない。ただ、那波氏が伊勢崎城を逐われたのが永禄三年(1560)であることから、伊勢崎城に
          もともと赤石氏があったとしても矛盾はない。
           赤石城の南東4qほどのところにある雷電神社の由緒によれば、永禄三年に周辺は左衛門尉
          ・同又次郎の領地となったとされる。しかし、同じ伊勢崎市内の同聚院の縁起には、左衛門尉は
          平安末期の人物として登場するなど、どこまで信憑性があるのか疑問である。赤石城のその後
          についても不明である。

       <手記>
           赤石城は、神沢川とその支流の合流点付近に突き出した丘陵の先端の城です。4つの曲輪を
          連郭式に並べたもので、主郭は現在旭化成の事務所となっています。以前は、主郭四周の土塁
          と空堀が残っていたそうですが、現在では失われています。
           主郭と道路を挟んだ北側のお個人宅は最北端の曲輪跡で、道路脇に城址標柱が建てられて
          います。このお宅は周囲より一段高い所にあり、四周は土塁ないし切岸の跡と思われます。お宅
          の裏手には最北端の空堀跡と思われる箇所が見受けられます。

           
 赤石城址標柱。
城址先端付近のようす。 
左側が城内。右手が自然の谷戸地形。 
画面中央は切岸跡か。 
 最北端の堀跡と土塁。


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