赤松氏館(あかまつし)
 別称  : 赤松居館
 分類  : 山城
 築城者: 赤松則村(円心)か
 遺構  : なし
 交通  : 智頭急行河野原円心駅徒歩10分


       <沿革>
           赤松氏の名を一躍天下に轟かせた赤松円心の居館である。赤松氏は村上源氏を称し、
          右大臣・源師房の5世子孫にあたる源師季が播磨国佐用荘に配流され、その子・季房が
          赦免を受けて土着したことに由来するとされる。季房の曽孫・則景の末子・家範が赤松村
          を領して分家し、赤松氏を名乗ったとみられている。館は家範が建造したとも考えられる
          が、確証はない。円心(則村)は家範の曽孫とされる。
           建武三年(1336)、円心は建武政権から離反した足利尊氏に従い、新田義貞の率いる
          6万と称する追討軍を居館の東の白旗城で迎え撃った。籠城方は2千名に過ぎなかった
          が、50日以上にわたって新田勢を足止めし、尊氏軍が九州から東上するまで持ち堪えた。
          この功により円心は播磨守護に任じられ、赤松氏館は守護所を兼ねたとみられている。
           円心の孫・義則の代に修理が行われており、このころまでは赤松氏の居館兼守護所で
          あったと考えられる。しかし、義則の子・満祐の代には坂本城が播磨守護所となっており、
          この間に赤松氏の居館としての役目も終えたものと推測される。現地説明板によれば、
          満祐の甥の子にあたる赤松政則が一時「赤松の旧宅」に滞在したとあるが、赤松氏館を
          指すのかは定かでない。したがって、坂本城移転後の扱いについては不明である。


       <手記>
           五社八幡神社南東の高台が赤松氏館跡とされています。以前は幼稚園があったそうで、
          その前は小学校だったのではないかなというくらい、だだっ広い更地が広がっています。
          そのため遺構らしきものはみられず、生活道路沿いに説明板が建つのみです。
           すぐ東側には白旗城跡の白旗山が聳えていますが、四職の一つとして室町幕府で重き
          を成した大大名の発祥地としては、だいぶ寂しい感じにも思えます。ちなみに、最寄駅の
          河野原円心駅は赤松円心にちなんで名付けられています。それなりに歴史好きでないと、
          大名としての赤松氏はともかく、赤松円心までは知らないように思いますが^^;

 説明板。
館跡現況。 
 館跡付近から白旗城跡を望む。


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