吉田城(よしだ)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 吉田主水頭か
 遺構  : 水汲場
 交通  : JR豊肥本線肥後大津駅からバスに乗り、、
        「阿蘇白水農協前」下車徒歩5分


       <沿革>
           阿蘇家臣吉田主水頭の城とされるが、いつごろの人物かは定かでない。
           天正十四年(1586)、島津氏が高森城の高森惟居らを掃討した際、吉田城も
          攻め落とされたと伝わる。

          
       <手記>
           吉田城は、阿蘇山から流れ出る白川の支脈の河岸上にあったと推定されて
          います。『日本城郭大系』によれば、かつては堀跡があったということですが、
          今では開発により失われています。
           現在では、緩やかな斜面に耕地や民家、線路があるばかりで、城域を推し
          量るのも困難です。上の地図に示した左上の緑点のところに城址標柱があり
          ますが、ここが城内なのかどうかもわかりません。
           右下の緑丸のところには、城の水の手だったとされる吉田城御献上汲場と
          いう湧水があります。今もこんこんと美味しい水が湧き出ているので、訪城の
          際はペットボトルなど容器を持参しましょう。汲場には駐車場もあるので、車の
          場合はここに停めるとよいでしょう。汲場の裏手は台地の崖線となっていて、
          少なくとも吉田城の南限はここであったものと推察されます。
           吉田城の堀は、南阿蘇鉄道の建設により(当時は国鉄高森線)埋められて
          しまったそうです。熊本地震以降、暫定的に吉田の西の中松駅が発着駅と
          なっています。私が訪れたとき、たいへん運のよいことに、南阿蘇鉄道の列車
          がやってきました。自転車と同じくらいの速度で、のんびりと走るおだやかな
          鉄道でした。

           
 吉田城址碑。
吉田城御献上汲場。 
 おまけの南阿蘇鉄道。


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