アーウ城
(
Au )
 別称  : なし
 分類  : 平山城(Spornburg)
 築城者: アーウ家か
 交通  : フライブルク中央駅からバスに乗り、
      「ラートハウス・アーウ」下車徒歩10分
 地図  :(Google マップ

       <沿革>
           1111年に、ハインリヒ・フォン・アーウが農場などの財産を聖ペーター修道院に寄贈したとする
          文書が残っている。12世紀後半には、リウトフリート・フォン・アーウがやはり聖ペーター修道院
          にブドウ園と牧草地を寄贈しており、同修道院がツェーリンゲン家の庇護下にあったことから、
          アーウ家はツェーリンゲン家の家士であったと推測されている。1200年ごろの中高ドイツ語に
          おける最も重要な詩人の一人とされているハルトマン・フォン・アーウヴェ(アウエ)は、用語法
          からシュヴァーベン地方の出と目されており、ブライスガウのアーウも出身地の候補といわれて
          いるが、有力視はされていない。
           1344年の文書に「ze Ouwe bi der Burg(城のあるオーウヴェ)」という記述があり、この時点で
          アーウに城館が存在したとみられている。アーウ家は14世紀後半まで確認できるため、同家の
          居城と推測されるが、確証はない。1480年の地誌には城についての記述はなく、廃城となって
          既に長い年月が経っていたものとみられる。


       <手記>
           アーウはドルフ川の谷筋の小さな街で、アーウ城は街並みを見下ろす舌状の峰先にあったと
          されています。現状は酪農家のお宅となっていて、遺構らしきものはなく、案内などもありません
          でした。ただ、このお宅の住所は「Unterer Burghof(下の城)」といい、城跡であることは間違い
          ないようです。
           19世紀後半までは堀が残っていたものの、今では埋められてしまっているそうです。後世の
          生活の営みによって遺構が失われ、完全に分からなくなるというのは、日本の城跡の辿る道を
          眺めているようで、寂しくも興味深く感じられました。

  
 ラートハウス・アーウのバス停付近から
 アーウ城跡を望む。
アーウ城跡現況。 
 同上。
城跡にある酪農場の入口。 
 北麓の道から城峰を見上げる。


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