| アウビング城( Burgstall Aubing ) | |
| 別称 : トイフェルスブルク城、トイフェルスベルク城 | |
| 分類 : 山城(Höhenburg) | |
| 築城者: 不明 | |
| 交通 : ミュンヘン・ロッホハウゼン駅徒歩15分 | |
| 地図 : Google マップ | |
<沿革> 12世紀ごろに、アウビングの領主によって築かれたと考えられている。アウビングの地名は 1010年に初めて史料に登場し、もとは古ヴェルフ家の支配下にあったと推測されている。 1422年、バイエルン公ヴィッテルスバッハ家の同族間抗争であるバイエルン戦争において アウビングの南西でアリングの戦いが行われる直前、アウビング城は上バイエルン=インゴル シュタット公ルートヴィヒの軍勢によって破壊されたとされる。 現地の説明板には、アウビング城について以下のような物語が記載されている。実り豊かで 平穏だったある年の冬、南のフライハムから一人の男が走ってきて、両村南西のゲルメリング を野盗が襲い、家畜を奪って家々に火を放ったと伝えた。アウビングの人々のうち戦える男は 各々農具を武器に野盗を迎え撃つ準備を整え、村の少年ウーボとその母・祖父ら足弱の者は 家畜を引き連れ、トイフェルスベルクの丘に築いておいた緊急用の砦へと逃げ込んだ。2日が 過ぎ、腹をすかせたウーボが城塔から村の方を望むと、煙が3本立ち上っているのが見えた。 「おじいさん、大変だ!燃えてる!」とウーボは驚いて叫んだが、祖父はむしろ喜んで「ああ、 それはもう大丈夫だという合図だよ」と言った。野盗は追い払われ、ウーボらは村へと下りて 行った。 この話はヴェルナー・ディルク『ウーボはアウビングに残った』(2010)が出典と記されており、 実際の伝承を基にしているのか、著者のフィクションなのかは定かでない。 <手記> アウビングはミュンヘンの北西郊外に位置する地域で、旧市街との間にはニンフェンブルク城 やブルーテンブルク城などがあります。アウビング城はアウビングの森(Aubinger Lohe)と呼ば れる緩やかな丘陵地帯の一角にあり、森全体が自然公園になっています。城跡まで散策路が 通じているものの、メインルートからは外れているため、北側の小道から地図を頼りに反れて 行かなければなりません。 典型的なモット・アンド・ベイリー形式の小城で、モット(郭丘)とベイリー(空堀)が良好に残存 しています。麓側にあたる南東の堀のみやや不明瞭で、虎口らしき開口部もこちら側に見受け られました。郭内は狭小で、同時期に存在したミュンヘン北東の、やはりモット・アンド・ベイリー 形式のオーバーフェーリング城の半分ほどしかありません。中央の大木に上述の民話を載せた 説明板が掲げられていて、この日は幼稚園か小学校低学年の一団が遠足に来ていました。 城内に石造の建物の痕跡はみられず、民話にもある通り、最後まで城塔や城壁は木製だった ものと推定されます。この点は、1158年にミュンヘンが建設されると共に廃されたと考えられて いるオーバーフェーリング城も同じで、そうなるとアウビング城が1422年に破壊されて廃された というのは、15世紀にもなって木造の城館が現役で残っていたとは考えにくく疑問が生じます。 個人的には、遅くともミュンヘンが上バイエルン公の居都となった13世紀半ばごろまでに廃城と なっていたのではないかと拝察します。 他方で、欧州において所謂「村人の城」が築かれたという話はほとんど聞きません。とりわけ モット・アンド・ベイリーは軍事的要素が強く、基本的には領主や軍人層が築城するものという 印象です。したがって、上記の物語についてはかなり眉唾に思っていますが、あるいは廃城後 に城跡を避難所として活用した例はあるのかもしれません。 ちなみに別称ないし丘名にあるトイフェル(Teufel)とは悪魔の意ですが、由来は不明です。 |
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| 堀越しに郭内を望む。 子供たちの一団が遠足に来ています。 |
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| 北東隅付近の空堀。 | |
| 同じく北西隅付近。 | |
| 同じく西辺の空堀。 | |
| 同じく南西隅付近。 | |
| 南東山麓側から郭丘を見上げる。 | |
| 郭内のようす。 | |
| 郭内南東隅付近の開口部。 | |
| 郭内から空堀を俯瞰。 | |
| 郭内の物語を載せた説明板。 | |