阿内城(あうち) | |
別称 : 宿阿内城、亀里阿内城 | |
分類 : 平城 | |
築城者: 三輪右丹 | |
遺構 : 土塁、堀跡か | |
交通 : JR前橋駅よりバス 「南高入口」バス停下車徒歩10分 |
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<沿革> 文明年間(1469〜87)のはじめごろに、三輪右丹によって築かれたとされる。右丹や 三輪氏について、詳細は不明である。 文明八年(1476)に長尾景春の乱が勃発し、翌年正月に景春が五十子陣を急襲する と、山内上杉顕定と扇谷上杉定正は敗れて阿内城に撤退した。同年五月、乱の鎮定に 当たっていた太田道灌と合流した顕定と定正は、景春軍を逐って五十子を奪回すること に成功した。 その後の阿内城および三輪氏については不明である。 <手記> 阿内城跡は、端気川河岸の微高地にあります。宿阿内と書く場合には「しゅこうち」と 読むようです。 近年まで遺構が良好に残っていたそうですが、今では宅地化や新道建設などにより 破壊が進んでいます。本丸南側に、かるた風の標柱があります。本丸と二の丸は畑地 となっていて、縄張り図に寄れば2曲輪は輪郭式になっていたようですが、現在両者の 区別は困難です。二の丸の南には三の丸があり、ここに女体神社が鎮座しています。 神社の北東隅には、城内唯一と思われる土塁が残っています。また、二の丸と三の丸 の間は一段低い道路となっていて、堀跡を利用したものと思われます。 歴史上、登場するのは長尾景春の乱のときのみですが、縄張りをみる限りでは総郭 をもつなど、16世紀中ごろまでは使用されていたのではないかと推測されます。 |
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阿内城本丸南側にたつ標柱。 | |
三の丸に鎮座する女体神社。 | |
三の丸北東隅の土塁。 | |
本丸および二の丸現況。 | |
二の丸と三の丸の間の堀跡。 |