台山城(だいやま)
 別称  : なし
 分類  : 山城
 築城者: 伊沢越前守か
 遺構  : 不詳
 交通  : JR徳島駅からバスに乗り、
      「上板中学前」下車徒歩20分


       <沿革>
           三好家臣・伊沢越前守頼俊が城主と伝わる。頼俊は、天正四年(1576)に一宮城主
          小笠原成助(一宮成相)と共に三好長治から離反し、長治を自害に追い込んだ。
           報を受けた三好氏重臣・矢野国村は讃岐から兵を返し、頼俊を討ち取った。頼俊は、
          板西に城を築くため町屋に宿泊しているところを襲われたともいわれる。この板西の城
          が台山城を指すとも考えられるが、確証はない。


       <手記>
           泉谷川沿いに突き出た、比高60mほどの小峰が台山城跡です。付け根側の山上に、
          銀色に輝く大きな水道施設があり、その下に広い駐車場があります。先人のサイトなど
          によれば、ここに城郭風の展望台があったようですが、私が訪れたときにはなくなって
          いました。
           その先の四阿から鉤字に折れた峰先が主城域とみられ、小さな八坂神社が祀られて
          います。境内は細長く削平されているものの、城跡に直接結びつくようなものは見受け
          られません。先端側からは麓へ通じる参道とみられる山道が延びていて、その脇には
          旧道のような堀底道がありますが、これも遺構かは不明です。また、『日本城郭大系』
          には「境内に古井戸があり、礎石・五輪塔・鉄刀などが出土」とあるものの、やはりそれ
          らしきものは見当たりませんでした。
           結局、現状からは城跡であるとの確信は得られなかったのですが、上述のとおり頼俊
          が新規築城を計画するも、討たれて未完のまま放棄されたとすれば納得がいきます。
          頼俊の居城である伊沢城は、吉野川を20kmほど遡ったところにあり、もとから板西まで
          勢力が及んでいたとは考えにくいでしょう。主君・三好長治を弑したことで吉野川下流域
          へ進出し、一宮小笠原氏との連携を図ったのではないかというのが個人的な見解です。

           
 西から台山城跡方面を望む。
 山上に巨大な水道施設が見えます。
 城域はその向こう側と思われます。
主郭と思われる八坂神社境内。 
 八坂神社の社殿。
境内先端部のようす。 
 先端下の堀底道の跡。
境内から付け根側の四阿を望む。 
 駐車場のある水道施設。


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