加茂野宮城(かものみや) | |
別称 : なし | |
分類 : 平城 | |
築城者: 不詳 | |
遺構 : なし | |
交通 : JR土讃線阿波池田駅からバスに乗り、 「加茂野宮」下車徒歩7分 |
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<沿革> 『日本城郭大系』によれば、『阿波古城記』に「平敦盛の子孫平貞国の嫡子安芸守是を守る」 とあるとされる。平姓で貞国を諱とする人物には、敦盛の子孫ではないが同じ伊勢平氏の伊勢 貞国がいる。ただし、貞国の嫡男貞親は安芸守ではなく、伊勢氏自体も阿波国との関わりは 確認できない。そもそも、『平家物語』で知られるとおり、敦盛は元服まもなく熊谷直実に討ち 取られているため、子孫があったとは考えにくい。 <手記>あ 上に図示したあたりにソーラーパネルが並ぶ一画があり、その裏手に城址標柱が建てられて います。図には描かれていませんが、周辺は水田地帯で細い農道が縦横に走っており、標柱 入口の南には東西方向の道が通っています。 また、標柱の脇には「田村左近守利晴之碑」という石碑があります。正確には理解しかねるの ですが、碑文によると田村利晴は天正十三年に姉川合戦(近江の姉川合戦は元亀元年)から 逃れて家祀の戎神社を加茂野宮村に安置し、以来田村家では1月10日に追懐祭を行うという ことのようです。田村利晴という名乗りから(左近守などという通称は不自然ですが)、城主かも と思って頑張って漢文を読み解いてみたものの、城館については触れられず『阿波古城記』の 記述とも接点がないのでがっくりときてしまいました^^; 一面の実り豊かそうな水田地帯で遺構もありませんが、標柱があるだけありがたいと思うべき なのでしょう。 |
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城址標柱を望む。 | |
城址標柱。 | |
田村左近守利晴の碑。 城とは関係がないようです…。 |