山口城(やまぐち)
 別称  : 中庄城
 分類  : 平山城
 築城者: 篠原諸好
 遺構  : なし
 交通  : JR土讃線江口駅徒歩15分


       <沿革>
           『故城記』によれば、元暦二年(1185)の屋島の戦いに敗れた平家の一部が祖谷に落ち
          延びた際、その監視として篠原太良三郎諸好が山口城を築き、300貫の土地を与えられた
          とされる。篠原氏の出自については定かでない。
           諸好の16代子孫である三河守好長の代の天正十年(1582)、山口城は長宗我部元親に
          攻め寄せられた。好長は、字新田から字高津田(現在の字山路)まで堤を設けて山口谷川
          を堰き止め、水を湛えて長宗我部勢の進軍を阻んだ。
           これに手を焼いた元親は、筏を作って兵を渡らせ、城に隣接する寺の僧に命じて火をかけ
          させた。東風に乗って火は城内に燃え広がり、城は落ちて好長は討ち死にし、好長の弟の
          民部助好一は血路を開いて逃走したと伝わる(『三好郡志』『阿波国郡村誌』)。
           城は、そのまま廃城となったと推測される。


       <手記>
           山口城は、山口谷川の支脈の沢谷戸に挟まれた細い峰を利用した城です。国道沿いに、
          ところどころ「お花大権現」の案内があるのでそれに従い、山口谷川を渡るJRの鉄橋手前
          に駐車して歩くとよいでしょう。上の地図には記されていませんが、橋の西詰奥の峰先から
          登る生活道路があります。
           篠原氏の出自は謎ですが、伝承が事実とすれば阿波国内でもかなり長い歴史をもつ城と
          いえるでしょう。しかしながら、現地に遺構はなく、生活道路を上がった民家の畑地の角に、
          城址標柱が寂しく立っているのみです。峰の北西隅にも、篠原氏の子孫が建てたとされる
          城址碑などがあるそうなのですが、民家の敷地内なので見学は難しいでしょう。
           さらに少し遡ると墓地があるのですが、やはり遺構らしきものは見当たりません。東脇に
          小沢の流れる地形に、何をか読み取る程度となっています。

           
 山口城跡を望む。
山口城跡標柱。 
 山口城跡現況。
東脇を流れる小沢。 


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