| ベルネック城 (Burg Bernegg) |
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| 別称 : なし | |
| 分類 : 平山城(Höhenburg) | |
| 築城者: ベルネック家か | |
| 交通 : ヒンヴィル駅からバスに乗り、 「ギーレンバート」下車徒歩10分 |
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| 地図 :(Google マップ) | |
<沿革> 1229年の文書にベルネック家の存在が記されていることから、このころに築かれたと推測 されている。ベルネック家はザンクト・ガレン修道院やラッパースヴィル伯家に仕えていたと みられ、また北のランデンベルク家とも密接な関係にあったと考えられている。 城には小さな所領しか付属しておらず、ベルネック家は常に窮乏していたようで、1277年 には領地の大部分が聖ヨハネ騎士団ブービコン管区に売り払われ、1283年には城自体も 売却された。その際の契約において、城は3週間以内に取り壊されることが規定されていた。 現地からこれといった遺物が見つかっていないことから、建物から調度品に至るまで、破城 は暴力的ではなく計画的に遂行されたと推定されている。 ベルネック家に残されたのは、城下のささやかな農場だけであった。最後の城主となった ベルタとハインリヒの息子が経営を続けたとみられているが、1318年以降は消息が途絶え、 ベルネック家は滅びたか名を変えて移住したと推測されている。 その後、誰にも顧みられることもなかった城跡は、1900年時点で痕跡も確認できない状態 となっていた。1923年に発掘が行われたものの、考古学的見地に基づく調査ではなかった。 1935年と1939年には修復が試みられ、城跡の石材で城壁の一部が再建された。また城門も 建てられたが、模擬であり史料等に基づくものではない。最も直近の修復は、1974年に実施 されている。 <手記> 現地レポートへと入る前に、調べていて書いていて、弱小領主の悲哀と労苦を詰め込んだ ようなベルネック家の短い歴史に涙が出そうになりました。と同時に、城や所領の売買という 事例のほとんどない日本との違いはどこから生じているのかな、とも気になりました。 ベルネック城へは、ラッパースヴィル近郊に住む友人を訪ねた際に、懇願して車で連れて 行ってもらいました。案の定、「こんなところに城跡があるなんて知らなかったよ!」と、日本 でもおなじみの反応も頂戴しました笑 車であれば、城峰の付け根側に無料の駐車場があります。そこからは林の中のハイキング コースを進みますが、その入り口のベンチで日向ぼっこをしていたおばあちゃんとお話をした ところ、やはり「え~、お城跡なんて知らないわよ」と日本でも聞きなれたフレーズを耳にしま した。たしかにコースからは外れて丘を登らなければならないので、散策をしているだけでは 気付けないかもしれません。 城跡には再建された城壁や件の模擬門がありますが、どうも補修材にコンクリートが使用 されているように見えます。事実とすれば残念ですが、時代を鑑みれば致し方ありません。 おそらく、模擬門のある城壁を境に東側が居住棟、西側がブルクホーフ(城庭)だったものと 推察されますが、どちらも面積は小さく、城というより家屋といった規模感です。 曲輪の東側には堀切が設けられていますが、ほとんど埋まっているのかかなり浅く、その 外側にももう1本堀切があるというものの、どちらかというと自然の鞍部のような感じです。 西側にも堀切があったそうですが、友人夫婦と一緒なのであまりはしゃぎすぎるわけにも いきませんでした。 |
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| 居住棟跡か。 | |
| 城庭(ブルクホーフ)か。 右手は模擬門。 |
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| 郭内西端のようす。 | |
| 西端からヴィルト川の谷を見下ろす。 | |
| 東側の堀切。 | |
| ハイキングコース入口付近からの眺望。 | |
| バッハテルの展望塔から城跡を望む。 中央の建物群の左側がベルネック城跡。 |
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| バッハテルの電波塔兼展望塔。 | |