ブルーテンブルク城
(
Schloss Blutenburg )
 別称  : なし
 分類  : 水城(Wasserburg)
 築城者: 不明
 交通  : ミュンヘン・オーバーメンツィング駅から
      バスに乗り、「ブルーテンブルク」下車
 地図  : Google マップ

       <沿革>
           出土品からは、13世紀初めごろに築かれたと推定されているが、詳細は不明である。史料上は、
          1430年代に初めて登場する。4つの城塔と水濠で構成されていたとみられている当初の水城は、
          1422年のアリングの戦いで破壊ないし荒廃していたと推測されており、上バイエルン=ミュンヘン公
          エルンストの子で後にバイエルン公となるアルブレヒト3世が、1431年から別荘として改修工事を
          進めていた。
           アルブレヒト3世は、許嫁を差し置いて自らが見初めて結婚したアグネス・ベルナウアーを城内に
          住まわせた。これに激怒した父エルンストは、1435年にアグネスを魔女裁判にかけ、ドナウ川から
          突き落として殺害した。アルブレヒト3世の子ジギスムントは政治より文化への関心が強く、1467年
          に弟のアルブレヒト4世へ地位を譲り、ダッハウのみを領してブルーテンブルク城に隠遁した。ジギス
          ムントによって、城は後期ゴシック様式でさらに大きく拡張されている。
           ブルーテンブルクとは直訳すれば「血の城」という意味だが、その由来は明らかでない。一説には
          古バイエルン語で経済的困窮に陥るという意の「blueten」が語源で、アルブレヒト3世およびジギス
          ムントが城普請に多額の費用をかけたことにちなむといわれる。一方、アグネスの惨劇から名付け
          られたとも考えられるが、いずれも確証はない。
           1508年からは狩猟館として利用されたが、建物は徐々に老朽化していったとされる。17世紀前半
          の三十年戦争において、史書にはスウェーデン軍によって破壊されたとする既述が散見されるが、
          事実とは考えられていない。
           1676年、ミュンヘンの公証人であるアントン・フォン・ベルヒェム男爵が荒廃しきった城を購入し、
          大規模な修築を施した。1702年にアントンが没すると、遺領はバイエルン選帝侯マクシミリアン2世
          エマヌエルが相続した。ブルーテンブルク城にはマクシミリアン2世の妻テレーゼ・クニグンデが死ぬ
          まで居住し、その後は廷臣らが使用したが、再び荒廃の一途をたどった。1827年からは国有財産と
          して民間に貸し出されたが、第二次世界大戦後にはほとんど廃墟となったとされる。
           1974年、地元住民らが「ブルーテンブルク城友の会」を設立し、1980~83年には「ミュンヘン国際
          児童図書館」として改修工事が行われた。以来今日に至るまで、蔵書3万冊以上を誇る専門図書館
          として運営されている。


       <手記>
           南方にあるパージング城と同じ、濠に囲まれたヴュルム川沿いのほぼ平地の水城です。決定的
          に違うのは、パージング城が立ち入りすらできない跡地であるのに対し、こちらは図書館やカフェと
          して今も建物が使われているという点です。ただ、児童図書館ということで城内まで入ってよいのか
          躊躇われ、外周を巡るにとどめました。
           上から見ると南北2つのブロックから成っており、4つの塔と城壁をもつ南ブロックが旧来の城域で、
          宮殿様式の北ブロックがジギスムント以降に拡張された部分だそうです。それにしても、「血の城」
          などという物騒な名称にも関わらず、婦人方が居住したり子供向けの図書館になったりと、私から
          みるといささか不思議の感もあります。実際に利用しているドイツの児童たちは気にならないので
          しょうか^^;

  
 濠越しに南ブロックを望む。
池となっている城濠。 
 南ブロックの城塔と城壁。
北ブロックの図書館入り口と礼拝堂。 
 城内から池越しに東方を望む。
城の脇を流れるヴュルム川。 


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