知念城(ちねん)
 別称  : なし
 分類  : 山城
 築城者: 知念按司
 遺構  : 石垣
 交通  : 沖縄市街より路線バス38番(志喜屋線)、
      「知念」バス停下車徒歩10分


       <沿革>
           伝説によれば琉球最初の王統とされる天孫氏によって12世紀末に築かれた
          とされ、『おもろさうし』には「神降れ初めの城」と詠われている。しかし、天孫氏
          の実在は立証されておらず、詳しい築城の経緯は明らかでない。
           12〜15世紀のグスク時代を通じて知念按司の居城だったと考えられている
          が、知念按司の出自や動向についても詳細は不明である。
           第二尚氏3代尚真王のころ、知念村に古根大掟(うふちー)という土地の名士
          がおり、村民から「大親(うふや)の前」と呼ばれて尊敬を集めていた。尚真王
          も古根大掟の徳を讃え、自身の異母兄弟を養子にあてがい内間大親と名乗ら
          せた。内間大親は知念按司となり、知念城を拡張したとされる。
           その後、知念城は東御廻り(あがりうまーい)巡礼の拝所として人々が参拝
          に訪れる聖地となった。拝殿は早い時期に瓦葺きに改められ、1761年以降は
          城内に知念番所が置かれた。この番所は、知念の集落が丘の下へ移ったこと
          により、明治三十六年(1903)に廃された。
 

      <手記>
           知念城は、知念半島を形成する丘陵南縁の突出部にあります。国の史跡に
          指定されていて、駐車場も整備されているので車があれば訪ねやすい城です。
           古城(クーグスク)と新城(ミーグスク)の2つの曲輪から成っていて、後者は
          内間大親によって増築された部分とみられています。古城の方は藪に覆われ
          ていてちょっと踏査は困難ですが、新城の方は石の城壁が良く残っています。
          私が訪れたときは石垣や郭内は整備工事中でしたが、十分見ごたえがあり
          ました。
           新城の海岸側には友利御嶽という拝所の区画があり、ここからの海の眺め
          はなかなかのものです。
           知念城は一応ピークに築かれていますが、丘陵の上からは内部が見透か
          されてしまう位置にあり、要害性にはそこまで優れているとはいえません。
          按司クラスの城としては規模も小さく、あまり戦闘向けとは思えません。友利
          御嶽の「友利」が「名高く尊い」という意味であることや、城外に神職の女性
          であるノロ(祝女)の屋敷が設けられていることなどから、知念城は早い時期
          から城砦や館よりも祭祀施設としての使用が中心となっていたのではないか
          と、個人的に推測しています。

           
 新城の城壁。左手が正門。右奥が西門。
正門を城外側から。 
 城内から見た西門(左)と正門(奥)。
友利御嶽のようす。 
 友利御嶽の石積み。
友利御嶽からの眺望。 
 城址碑と説明板。
ノロ屋敷跡。 


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