第十城(だいじゅう)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 第十氏か
 遺構  : なし
 交通  : JR徳島駅からバスに乗り、
      「第十」下車徒歩1分


       <沿革>
           第十重太夫の居城とされる。重太夫は60貫文を領し、天正十年(1582)の中富川の戦いで
          戦死したとされる。第十氏の出自や第十城の詳しい歴史については不明である。


       <手記>
           吉野川河口堰として有名な第十堰の畔、八幡神社および第十農村公園付近が第十城跡と
          されていますが、確証はないようです。
           第十堰は社会科の教科書にも載っているので知っている人は少なくないでしょう。名称から
          吉野川の10番目の堰と思われがちですが、「第十村」という地名が由来です。しかしながら、
          なぜ第十などという地名なのかは調べても分からず、第十氏の出自も不明です。
           第十堰自体は、17世紀後半に吉野川と別宮川が繋げられ、それまでの吉野川本流の水流
          が減少し耕作に支障が出たため、宝暦二年(1752)に今日の旧吉野川への水量を確保する
          ために建造されたものです。逆にいうと、この付近から下流域の河道は戦国時代とは大きく
          異なっているとみられ、第十村の地形も原型を留めていないと考えた方がよいのではないか
          と思われます。

           
 八幡神社。
比定地とされる八幡神社および第十農村公園。 
 江戸時代に築造された第十堰。


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