エーレンブライトシュタイン要塞 (Festung Ehrenbreitstein) |
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別称 : エーレンブライトシュタイン城、 コブレンツ要塞など |
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分類 : 山城 | |
築城者: 不詳 | |
交通 : コブレンツ中央駅よりバス 「Obertal」バス停下車徒歩10分 |
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地図 : (Google マップ) | |
<沿革> エーレンブライトシュタインの歴史は古く、発掘調査により山の南端付近から紀元前10世紀ごろの 防衛施設の柱穴などが見つかっている。 史料上は、ラーンガウ地方の領主エーレンベルト(またはエーレンブレヒト)によって、西暦1000年 ごろにエーレンブライトシュタイン城が築かれたのが初出とされている。この城は、1020年にトリーア 大司教の所有に帰した。1160年、当時のトリーア大司教ヒリン・フォン・ファレマーニエンは五角形の 塔や貯水槽を建築し、堀を深くするなどの改修を施した。 その後もトリーア大司教のライン右岸の橋頭堡として、エーレンブライトシュタイン城は増改築を 繰り返し、攻城戦が大砲主体へと変わるうちに城(Burg)から要塞(Festung)へと変貌していった。 とくに、16世紀初頭のトリーア大司教リヒャルト・フォン・グライフェンクラウ・ツー・フォルラーツは 城に堡塁を築き、要塞化を推し進めた。リヒャルトは、1524年に重さ10tほどもある巨砲「グライフ」 を鋳造させ、エーレンブライトシュタイン要塞の堡塁に据え付けさせた。グライフは、当時の欧州で 最大の大砲であった。また1600年には、要塞建築家のヨハン・フォン・パスカリーニ2世によって、 要塞の外側にもう1つ稜堡が設けられた。 三十年戦争さなかの1631年、トリーア大司教は要塞をフランスに譲渡し、翌年にはフランス軍が 要塞に進駐した。一度は神聖ローマ帝国軍が要塞とコブレンツの町を奪い返したものの、1637年 には、再びフランス軍によって制圧された。三十年戦争終結後の1650年、要塞はトリーア大司教 (選帝侯)により再度奪い返された。1729年からの改修では、建物がバロック調に改められた。 18世紀末にフランス革命戦争が勃発すると、エーレンブライトシュタイン要塞は1795年から4度に わたって、フランス革命軍によって包囲された。4度目の包囲はおよそ1年に及ぶ兵糧攻めとなり、 1799年についに陥落した。しかし、1801年のリュネヴィルの和約によって、フランスはライン右岸を 放棄しなければならなくなった。右岸にあるエーレンブライトシュタイン要塞から撤退するにあたり、 フランス軍は要塞を爆破し使用不能にした。1803年の帝国代表者会議主要決議(Reichs- deputationshauptschluss)により、要塞の廃墟はナッサウ=ヴァイルブルク侯に譲渡された。 1815年のウィーン会議の結果、コブレンツを含むラインラント地方はプロイセン王国領となった。 プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世は、「コブレンツ市とエーレンブライトシュタイン要塞の 改築強化に関する指令(Order zur Neubefestigung der Stadt Coblenz und der Festung Ehrenbreitstein)」を発し、ライン川を挟んだ対岸のコブレンツ市街も包摂した「コブレンツ要塞 (Festung Coblenz)」計画を進めた。この計画のもと、要塞は1817年から1828年にかけて大規模 な改修が施された。コブレンツ市街まで含めた大要塞が完成したのは、さらに6年後の1834年の ことであった。 その後、第一次世界大戦で戦火に晒されることはなかった。第二次世界大戦では、コブレンツ 市街が壊滅的な打撃を受けたにもかかわらず、要塞はほとんど無傷であった。 <手記> コブレンツはライン川とモーゼル川の合流点にあり、ひと目で重要とわかる土地です。エーレン ブライトシュタイン要塞は、このコブレンツの町からライン川を挟んだ対岸の峰にそびえるように 建っています。地形的には、西側のライン川と東側の小川に挟まれた、舌状丘陵の先端にあり ます。 要塞の建物は博物館となっていて、一部がユースホステルとして利用されています。こちらの ユースホステルの方には、冬のさなかに友人と泊まりましたが、博物館は冬季休業中でした。 また、ライン川の渡し舟や山上までのリフトがあるのですが、どちらもやはり冬季は休業とのこと で、麓から長い登り道を上らなくてはなりませんでした。宿の方はというと、かなり近代の要塞 ですから、城に泊まっているという感じはあまりありませんでした。 そのようなわけで、市街はともかく要塞については、冬の訪問はまったくおすすめできません。 |
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エーレンブライトシュタイン要塞遠望。 | |
要塞からドイッチェス・エック(ライン川とモーゼル川の合流点)を望む。 |