エルツ城
(Burg Eltz)
 別称  : なし
 分類  : 平山城(Gipfelburg)
 築城者: エルツ氏か
 交通  : Moselkern駅より徒歩40分
 地図 : (Google マップ


       <沿革>
           いつごろ築かれたのかは定かでない。1157年、神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ1世
          (バルバロッサ:赤髭王)の贈与証書の証人として、ルドルフ・フォン・エルツの名が見ら
          れる。このルドルフは、すでにエルツ城のある地に居を構えていたとされる。エルツ城は
          モーゼル川やマイフェルト地方、そしてアイフェル地方の結節点にあり、これらを同時に
          扼する目的があったと考えられている。
           1268年までに、エルツ氏はエリアスとヴィルヘルムそしてテオーダーリヒの3人の兄弟
          によって3家に分かれ、それぞれ後にリューベナハ家・ケンペニヒ家・ローデンドルフ家を
          興した。エルツ城は、この3家による共同相続財産となった。
           14世紀初め、トリーア大司教バルドゥーイン・フォン・ルクセンブルクは支配をコブレンツ
          まで拡大しようと画策した。エルツ城を含むモーゼル川流域の諸城の城主は、1331年に
          同盟を結んでバルドゥーインに抗し、「エルツの乱(Eltzer Fehde)」と呼ばれる地域紛争
          に発展した。バルドゥーイン軍は、エルツ城の東方に対の城(トルッツブルク城)を築いて
          包囲戦を展開した。2年に及ぶ攻囲の末、エルツ城は開城した。これにより、他の諸城も
          戦意を失い、1336年にエルツの乱は終結した。結果、エルツ氏はトリーア大司教の封建
          家臣となった。
           15世紀から徐々に改修が施され、エルツ城は今日の姿へと近づいていった。1472年
          には、リューベナハ家の持ち分であった城の西側が増築された。1490年から1540年の
          間には、城の正面にあたる東側を所有するローデンドルフ家が、玄関ホールや外壁を
          整えた。このころのエルツ氏の重要人物として、リューベナハ家のヤーコプ・ツー・エルツ
          =リューベナハが挙げられる。ヤーコプは、1567年にトリーア大司教に選ばれ、ヤーコプ
          3世を称した。
           17世紀に入り、ハンス・ヤーコプ・ツー・エルツと妻アンナ・エリーザベトが城の改修を
          さらに推し進め、完成させたとされる。エルツ城は、17世紀前半の三十年戦争や1688年
          に始まるプファルツ継承戦争を、無傷でくぐり抜けたとされる。とくにプファルツ継承戦争
          ではモーゼル川流域が主戦場の1つとなり、侵攻してきたフランス軍によって周辺の多く
          の城が破壊されてしまっている。にもかかわらずエルツ城が破壊されずに済んだのは、
          フランス軍に属していたハンス・アントン・ツー・エルツ=ユッティンゲンの尽力によるもの
          といわれる。
           1792年にはフランス革命戦争が始まり、1794年にラインラントの大部分がフランス軍に
          よって占領された。この後ナポレオン戦争が終結する1815年まで、エルツ周辺はフランス
          の統治下にあった。当時の当主フーゴー・フィーリプ・ツー・エルツ伯爵は国外に亡命した
          とみなされ、フランスの司令部にエルツ城と財産を没収された。だが、フーゴーはマインツ
          に在留していたことが発覚し、1797年に城と財産は返還された。1815年に、フーゴーは
          リューベナハ家の家名と財産を買い取った。ローデンドルフ家は1786年に無嗣断絶して
          いたため、エルツ氏はケンペニヒ家に統一されることになった。
           1845年から1888年にかけて、当時の当主カール・ツー・エルツ伯爵は18万4000マルク
          の巨費を投じ、エルツ城を修復した。1920年には火災によって城の南面が被災したが、
          間もなく修復された。

           
       <手記>
           ドイツの城館といえば、まずノイシュヴァンシュタイン城が思い起こされますが、それに
          負けないくらいメルヘンな姿を見せてくれるのが、このエルツ城です。外観に関しては、
          それだけ申し上げれば十分だと思います。
           エルツ城は、モーゼル川沿いの駅から谷間の山道を分け入りながら進むこと1時間弱、
          エルツ川が三方を馬蹄状に囲む丘の上に建っています。城門は峰伝いの1か所のみに
          開かれ、力攻めは困難です。
           要害性やメルヘン情緒に富んだ城ではありますが、とにかく最大の疑問は「何故こんな
          ところに城が?」という点です。私は駅から徒歩で城に向かいましたが、途中の道は渓谷
          のハイキングコース以外の何者でもありません。小旅行気分でワインを3本背負っていた
          私は、死にそうな思いでやっとこさ城までたどり着きました。立派なお城ではありますが、
          周囲には家一軒なく、そもそも城下町を作れるようなスペースがまるでありません。歴史
          を通じて無傷であったことがエルツ城の自慢だそうですが、それは要害堅固だったからと
          いうよりは、わざわざ攻めるほどの価値がなかったからではないかと思われて仕方ありま
          せん。近くに金山でもない限り、誰もこんなところに本気で攻め寄せては来ないでしょう。
          プファルツ継承戦争でフランス軍に破壊されなかったというのも、実際には貴重な火薬を
          わざわざ使うほどのこともないと素通りされただけではないかとも考えられます。
           そんなエルツ城ですが、今では国内外に知られた観光名所になっているようです。どこ
          からともなくひっきりりなしに観光客が現れ、城の近くまで小さなワゴン車で送迎する個人
          業者もいます。
           私個人としてはメルヘン云々にはさほど興味は無いので、城の戦略的・政治的価値が
          どこにあるのかという疑問が最後まで残る城となりました。

           
 南側から見たエルツ城。
正面から見たエルツ城。 


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