億載金城(おくたいきん)
 別称  : 二鯤鯓砲台、安平大砲台
 分類  : 要塞
 築城者: 沈葆楨(清朝)
 交通  : 台南駅からバスに乗り、「億載金城」下車
 地図  :(Google マップ


       <沿革>
           1874年の日本の台湾出兵により台湾防衛の必要性を感じた清朝の欽差大臣・沈葆楨は、
          フランス人技術士M.ベルトーを雇って二鯤鯓に洋式要塞の築城を開始した。1840年に建造
          された安平小砲台に対して、安平大砲台とも呼ばれる。また、建設に際してはすでに廃墟と
          なっていた安平城(ゼーランディア城)の建材も転用された。完成は1876年とされる。
           1884年に始まる清仏戦争では、フランス艦隊が台南を海上封鎖し、二鯤鯓砲台から砲撃
          が加えられたとされる。また、1895年の日清戦争により台湾が日本へ割譲されると、これに
          反対する勢力が台湾民主国を設立したが、まもなく台北や基隆を失った。民主国の残党は
          劉永福を大将軍に任命して抵抗を続けたが、10月下旬までに安平も陥落し、劉永福は大陸
          へ逃亡した。このときの戦いでも、二鯤鯓砲台が民主国側の重要拠点であったとされる。
           そのころ、安平周辺の海には土砂が堆積していたこともあり、二鯤鯓砲台はすでに価値を
          失っていた。台湾が日本に統治されて以降、要塞として使用されることはなかった。


       <手記>
           安平古堡(上鯤鯓)南方の二鯤鯓に築かれた四稜郭です。二鯤鯓砲台として国の史跡に
          指定されており、億載金城(Eternal Golden Castle)とは正門に掲げられた扁額に因む通称
          です。
           フランスの技術者を雇っているので正式な西洋式要塞なのでしょうが、日本の五稜郭など
          と比べると、なんとなくメリハリのないのっぺりとした形状に見えてしまいます。あるいは予算
          による制限などがあったのかもしれません。
           砲台の北西には、駆逐艦德陽が展示されています。億載金城と直接の関係はありません
          が、億載金城が海防要塞であったことが実感できます。

  
 東辺の濠。
同上。 
 正門を城内側から。
城内のようす。 
練兵場だったそうです。 
 弾薬庫跡。
扶壁(控え壁)。 
 稜堡のようす。
同上。 
 稜堡間に置かれたレプリカの大砲。
南西隅の濠と土塁。 
 南辺の濠越しにレプリカの大砲を望む。
南東隅濠と土塁。 
 おまけ:駆逐艦德陽


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