エッシュ=シュル=シュール城 (Château d'Esch-sur-Sûre) |
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別称 : エッシュ=ザウアー城 | |
分類 : 山城 | |
築城者: メギナウト | |
交通 : エッテルブルック駅よりバス 「Esch-sur-Sûre」バス停下車徒歩5分 |
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地図 : (Google マップ) | |
<沿革> 927年6月、スタブロー修道院からこの地を譲り受けたメギナウトによって、8m×8mの居住用の 塔が建てられたのがはじまりとされる。 子孫はエッシュ=ザウアー家を名乗ったとされ、11世紀末にはハインリヒとゴートフリートの兄弟 が第1回十字軍に参加している。彼らによってエッシュ=ザウアー家は最盛期を迎えたとみられ、 19の村々を支配したとされる。 15世紀に入ると、火薬の普及により村を囲う城壁が築かれ、城内には円塔が建設された。この ころには、村の統治はエッシュ=ザウアー家からブランデンブルク家とファルケンシュタイン家、 およびクローネンブルク家の共同統治へと移っていたといわれる。 しかし、16世紀中ごろから城は朽ちはじめたといわれる。1685年に、ルイ14世によってルクセン ブルクが占領されると、領内諸城の廃城令が出された。ただし、エッシュ=シュル=シュールに おいては家々が城壁と切り離せない形で増築されていたため、破壊は徹底されなかった。 19世紀中ごろに、城はエッシュ=シュル=シュール市民の所有となった。1871年にフランスの 小説家ヴィクトル・ユーゴーが訪れた際、城内には何組かの家族が住みついていた。1893年には 城跡は国有地となった。 <手記> エッシュ=シュル=シュールは、馬蹄状に蛇行するシュール川に囲まれた小さな村です。川に 向かってせり出した岩山の周囲に、身を寄せ合うように家々が立ち並んでいます。伝統的には エッシュ=ザウアーというのが正しい呼び方のようですが、今日ではエッシュ=シュル=シュール の方が一般的となっているようなので、城の名称もそちらに合わせました。 城は、村を見渡せる岩山の上に、ほとんど廃墟あるいは遺跡といった感じで佇んでいます。とは いえ、全体像をうかがうには十分な残り具合で、城に詳しくない人でもノスタルジーに浸ることが できます。 村へはエッテルブルック駅からバスを利用するのですが、途中は延々となだらかな丘と森が続き、 とても牧歌的な景色が広がります。ただ、田舎のバスとて本数が少ないので、時間には注意です。 宿泊施設は村に2軒しかありません。 私はそのうちの1軒に泊まったのですが、村の朝は靄に覆われてとても幻想的でした。森と泉の 国の暮らしを味わうにはうってつけのところだと思いました。ちなみに、ルクセンブルクは言語的に 難しいところで、街中はともかく、この辺ではフランス語しか通じないようです。 |
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城門と1906年に復興された礼拝堂を望む。 | |
城内のようすと主塔。 | |
主塔からルークの塔(見張りの円塔)を望む。 | |
城と村のようす。 |