フュルステンベルク城 ( Burg Fürstenberg) |
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別称 : なし | |
分類 : 山城(Höhenburg) | |
築城者: ウルリヒ2世・フォン・シュタイナハか | |
交通 : ニーダーハイムバッハ駅徒歩20分 | |
地図 :(Google マップ) | |
<沿革> 1219年、ケルン大司教エンゲルベルク1世の命にり、ライン川航行の船舶からの徴税を確実に するために築かれた。1243年には、周辺領地がライン宮中伯に譲られた。ただし、城が完全に 宮中伯のものとなるのは、売却が完了した1410年のことである。 神聖ローマ帝国皇帝選出をめぐる争いのなかで、1321年には皇帝兼ライン宮中伯ルートヴィヒ 4世によって、1325年にはトリーア大司教バルドゥーイン・フォン・ルクセンブルク軍によって攻囲 された。 30年戦争さなかの1620年にはスペインの名将アンブロジオ・スピノラの軍によって、1632年に はスウェーデン軍によって、城は制圧された。 プファルツ継承戦争中の1689年には、他のライン渓谷の諸城と同様、フュルステンベルク城は フランス軍によって徹底的に破壊された。 1844年、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世未亡人アウグステ・フォン・ハラッハが城の 購入を計画したが、果たせなかった。翌45年、アウグステの娘ルイーゼの夫フレデリック・ファン・ オラニエ=ナッサウが代わってフュルステンベルク城を買い取り、妻にプレゼントした。ルイーゼは 城の廃墟を解体してネオゴシック調の宮殿を新築しようとした。当時、ライン川沿いの城跡を壮麗 に改装することは「ラインロマンティーク(Rheinromantik)」と呼ばれ1つのブームとなっていたが、 フュルステンベルク城については計画が実行に移されることはなかった。理由は定かでないが、 城砦の険しい立地が宮殿には向いていなかったことや、廃墟にしては美しい姿を残していたこと などが考えられている。 フレデリク夫妻が亡くなると、城は娘マリーが継承した。1910年、バッハラッハのヴァースム家 がフュルステンベルク城を買い取った。1993年には、地元の篤志家ゲアノート・シュテルターが 城を購入。山麓でワインショップや宿泊施設を経営するかたわら、州機関と提携して城跡の保存 に努めている。 |
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<手記> フュルステンベルク城は、ライン川とその支流ガイルス川の合流点の峰の角に建っています。 幸か不幸か17世紀の復興ラッシュにも、19世紀のラインロマンティークにも無縁で今に至るまで 中世来の遺構を残しているということです。たしかに、変に綺麗に改装されていない朴訥な塔や 壁は、逆に周辺諸城のなかでも落ち着いた美しさで際立っています。 地元の理解者によって買い取られ、修復が手がけられているというのも、城跡ファンとしては ほっこりするような有難い話だと思います。機会があればぜひ、城跡の麓でワイン選びに興じて みたいところです。 |
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フュルステンベルク城を背後から。 |