松山館(まつやま)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 小林刑部左衛門
 遺構  : 不詳
 交通  : 富士急行富士吉田駅徒歩7分


       <沿革>
           『妙法寺記』の天文五年(1536)の項に、「小林刑部左衛門殿松原さきを屋鋪に御立候」とある。
          松原崎は松山の西部を指すもので、松山館はこのときに小林刑部左衛門房実によって築かれたと
          されている。小林氏はもともと河口湖畔の船津を本拠とし、郡内領主小山田氏の重臣として活躍
          していた。
           同書の天文八年(1539)の項には、「小林刑部左衛門殿、松山を御立て候」とある。詳細は不明
          だが、松山館の改修もしくは居館を松山へ移したことを指すものと推測される。
           廃城時期は不明だが、小林氏は天正十年(1582)に武田氏および小山田氏が織田信長に滅ぼ
          されると、運命をともにしたといわれる。


       <手記>
           松山館跡は、現在松尾神社の境内となっています。周辺には館跡を示すものは何もありません。
          『中世城館調査報告書集成』には土塁が残っているとありますが、見落としたのか消滅したのか、
          見つかりませんでした。
           とくに周囲に対して高くなっているというわけでもなく、館の西を流れる神田堀川が名前のとおり
          館背後の堀の役割を果たしているのが、唯一の要害といえます。富士吉田駅のすぐ北側にあり、
          現在の富士吉田市の発展の基礎となった館ともいえるでしょう。

           
 松尾神社。
館背後の神田堀川。 


BACK