御器所西城(ごきそにし)
 別称  : 御器所城
 分類  : 平山城
 築城者: 佐久間宗勝か
 遺構  : なし
 交通  : 地下鉄鶴舞線荒畑駅徒歩5分


       <沿革>
           嘉吉年間(1441〜44)に佐久間宗勝(家勝)によって築かれたとされる。佐久間氏は桓武平氏流
          三浦氏庶流で、三浦義明の三男義春の四男家村にはじまるとされる。家村の跡は同族和田義盛
          の孫朝盛が養子となって継いだが、建暦三年(1213)の和田合戦により没落した。家村の子家盛
          が承久三年(1221)の承久の乱の恩賞として御器所に所領を与えられ、佐久間氏を再興させた。
          宗勝は家盛の子孫と考えられるが、系図にはみられず、どのような人物なのか定かでない。
           佐久間氏はその後4家に分かれたが、御器所西城の佐久間氏には柴田勝家の甥として活躍し、
          天正十一年(1583)の賎ヶ岳の戦いで敗死した佐久間盛政がいる。廃城時期は不明である。


       <手記>
           御器所台地の最頂部、四方を見渡せる丘の上に建てられた城で、現在は尾陽神社が鎮座して
          います。北に崖を背負い四方に堀と土塁を巡らした城だったそうです。古くからの開発領主の城館
          とみるべきでしょう。
           東側には御器所東城もあったということですが、こちらは場所が判然としませんでした。遺構は
          特になく、地形に当時を偲ぶのみです。


           

御器所西城址(尾陽神社)。


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