ゴリツィア城
(Castello di Gorizia)
 別称  : ゲルツ城
 分類  : 平山城
 築城者: 不詳
 交通  : ゴリツィア中央駅からバスに乗り、
      「Gorizia via de Gasperi 27」下車徒歩10分
 地図  :(Google マップ


       <沿革>
           ゴリツィアの史料上の初出は、1001年4月28日付の神聖ローマ皇帝オットー3世の文書と
          される。アクイレイア総司教ヨハネスとエッペンシュタイン家に城と領地を分け与えるとする
          内容で、その中に「スラブの言葉でゴリツァ(Goriza)と呼ばれる村」が登場する。城について
          も今日のゴリツィア城を指すとすれば、このときまでに築かれていたことになる。ゴリツィアの
          地名はスロベニア語で小山を意味するgoricaに由来すると考えられていることから、古くから
          スラブ人の城砦ないし高地性集落が存在したとする説もある。
           1122年にエッペンシュタイン家が無嗣断絶すると、姻戚のハインリヒ4世・フォン・シュポン
          ハイムが遺領とケルンテン公の地位を継承した。彼はゲルツ伯(ゴリツィアのドイツ語名)を
          称した最初の人物ともいわれるが、翌1123年に死去した。代わって、アクイレイア総司教と
          密接な関係を築いていたマインハルディナー家のマインハルト1世が台頭し、1127年までに
          ゲルツ伯を称していた。マインハルト1世の兄エンゲルベルト1世はバイエルンの宮中伯で
          あったとされているが、両者の関係性については不明な点が多い。
           13世紀に入り、城主の居館や2階建ての建物などが整備された。1232年、マインハルト
          3世・フォン・ゲルツはチロル伯アルベルト3世の娘と結婚し、チロル伯領を統合した。その子
          であるマインハルトとアルベルトの兄弟は広大な領土を分割し、前者がチロルを、後者が
          ゲルツを相続した。マインハルトは後に、神聖ローマ皇帝ルドルフ1世を援けてケルンテン
          公領を獲得したが、その際に無嗣断絶した場合はハプスブルク家に所領を譲ることを約束
          した。14世紀半ばにチロル伯マインハルディナー家は実際に男系が断絶し、ハプスブルク
          家に広大な領土が譲渡された。
           一方のゲルツ伯家は、13世紀後半ごろからヴェネツィア共和国の攻勢に晒され、1278年
          に居城をチロルに近いリーエンツのブルック城へと移した。その後も、所領分割などにより
          勢力を漸減させていき、1500年にレオンハルト・フォン・ゲルツが没するとゲルツ伯マイン
          ハルディナー家も断絶し、遺領はハプスブルク家の皇帝マクシミリアン1世が継承した。
           マクシミリアン1世はレオンハルトの執政であったヴィルギル・フォン・グラーベンを自らの
          顧問として登用し、新たなゲルツ城代に任命した。しかし、1508年にマクシミリアン1世が
          ヴェネツィア共和国を攻撃して大敗すると、ゲルツ城は同国に占領された。ヴェネツィアの
          支配下において、ゲルツ城は要塞として強化されたが、翌1509年にはハプスブルク家に
          奪還された。
           その後、ゲルツ城はゲルツ伯を継いだハプスブルク家の拠点城の一つとなった。18世紀
          には、堡塁や城壁などの拡張工事が行われたが、この城で攻防戦が行われることは最早
          なかった。第一次世界大戦の爆撃で被害を受けた後、1934~37年にかけての修復工事
          に寄せて中世の外観へと戻され、今日に至っている。


      <手記>
           ゴリツィアはイタリアの北東部に位置する国境の街で、城山のすぐ裏手はもうスロベニア
          です。第一次大戦後に、いわゆる「未回収のイタリア」として伊領に組み入れられましたが、
          歴史上は上述のとおり、ヴェネツィアに占領された約1年を除いて、「イタリア」だったことは
          ありません。近世には海にほど近いリゾート地として、ほとんどの領地が内陸にあるハプス
          ブルク帝国の貴族たちが集ったのだそうです。
           市街を見下ろす独立丘にあり、中央駅からはやや距離があります。要注意なのが駅にも
          観光案内所にも荷物を預けられないという点です。城の受付では預かってくれたのですが、
          そこまではバックパックの全荷物を背負って城山を登らなくなりませんでした。
           城は居館部とそれに近接して巡る内側の城壁、そして稜堡などを伴いやや広く囲く外側の
          城壁の大きく3セクションから成っています。私が訪れたときは居館や内側城壁が修復中で、
          展示物などは観覧できましたが、残念なことに城壁上を歩くことはできず居館からの眺望も
          限定的でした。とはいえ、館内の展示は充実していてとても勉強になりました。とくに上記の
          ゲルツ伯の4世紀弱における隆盛と没落の物語は、盛者必衰のことわりを表しているようで
          たいへん興味深く感じます。

           
 外郭の城壁。 
外郭稜堡の城壁。 
 外郭の出入口。
 当時からの城門かは不明。
稜堡を俯瞰。 
 サント・スピリト礼拝堂越しに内郭を望む。  
サント・スピリト礼拝堂近影。 
 内郭の入り口。
内郭入り口前の外郭建物跡。 
 内郭のようす。
居館建物を見上げる。 
 居館の中庭。
古い城壁か。 
 居館内の騎士の間。
同じく館内の礼拝堂。 
 展示物のジオラマ。
居館からゴリツィア市街を望む。 
 反対側の眺望。
 見えている景色はすべてスロベニア領内です。


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