| ギルフォード城 (Guildford Castle) |
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| 別称 : なし | |
| 分類 : 平山城(モット・アンド・ベイリー) | |
| 築城者: イングランド王ウィリアム1世 | |
| 交通 : ギルフォード駅徒歩15分 | |
| 地図 :(Google マップ) | |
<沿革> 1066年にイングランドを征服したノルマンディー公ギヨーム2世(ウィリアム1世)ないしその 家臣によって築かれたとみられている。ただし、1086年の検地台帳『ドゥームズデイ・ブック』 には見られないため、それ以降の築城と推測されている。 当初は土塁と木造建築から成っていたが、12世紀初頭に石造の城壁が、1130年にキープ (主塔)が造営された。キープは初め2階建てであったが、後に3階が増築された。1216年、 第一次バロン戦争に伴って上陸したフランスのルイ王太子がギルフォード城を占領したが、 攻防戦はなかったとされる。王がいない間は、サリーとサセックスの州長官が在城・管理して いたといわれる。 13世紀に入り、国王ヘンリー3世は城域をモット・アンド・ベイリーの外へと拡大し、大広間を 伴う御殿が建てられた。この御殿は1254年に火災で被害を受けたが、その後もヘンリー3世 の後継ぎであるエドワード(1世)のための部屋が増築されるなど、王宮としての体裁が整え られていった。 14世紀後半になると、城は存在意義を失って放置され、朽ちていったとされる。主塔は監獄 として利用されたが、住民が安全上の理由から囚人の護送先をルイスへ変えるよう請願し、 1487年に訴えが容れられている。1544年には、ギルドフォードの元市長ジョン・ダボーンが 城の庭園管理人に任命された。ダボーンによって、主塔に今日も見えるレンガの窓や暖炉が 設置されたとみられている。 1611年、国王ジェームズ1世は城をフランシス・カーターに下賜した。1630年代にキープは 天井が取り払われ、闘鶏場として使われたといわれる。1820年ごろには、ノーフォーク公が 城を購入し、1885年にギルフォード市へ売却した。市は城を修築したうえで、大衆園地として 公開した。直近の補修は、2003年に行われている。 <手記> ギルフォードはロンドン南西の中核的な都市です。ロンドンとウィンチェスターの中間地点に 位置する要衝のように思えるのですが、西のファーナム城ほどには重要視されてこなかった のは意外な感じです。 モット・アンド・ベイリーの外に御殿が別個に建て増されたためか、3階建てという小ぢんまり としたキープが、壊されることも華美に改装されることもなく、、ずんぐりとした中世の雰囲気を そのままに佇んでいます。防備上の観点から2階の王の居室へは1階からは上がれず、外側 から階段を登らなければなりません。そのため、1階の入口でチケットを買うと、まず同じ階の 資料室を見た後、いったん外へ出て2階へ入り直して検札を受けなければなりません。 2階の王の間は1階と打ってかわって天井が高く、広々として開放感があります。さすが王の 居室と言いたいところですが、豪華さはまったく感じられません。いかに王様とはいえ、中世の 城内がいかに住みづらかったかを物語っているようです。3階は上述のとおり天井が外されて おり、屋上だった場所まで上がれるものの、身動きは取れないので景色を楽しむのみです。 城丘から堀を渡って南西へ下りると、門跡や城壁の残片がところどころに見られます。堀底 は花壇の麗しきイングリッシュ・ガーデンとして整えられていて、市民の憩いの場となっている ようです。 |
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| 背後から主塔を望む。 | |
| モット・アンド・ベイリーの空堀。 | |
| 主塔正面。 階段が続いているのは2階の王の間。 |
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| 最盛期のジオラマ。 | |
| 王の間。 | |
| 主塔屋上。 | |
| 主塔からギルフォード市街を見渡す。 | |
| 城丘から外郭を見渡す。 | |
| 大手門跡。 | |
| 大手門付属の建物跡の石壁。 | |
| 南西隅の城壁。 | |