鳥取城(とっとり)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 不明
 遺構  : 堀跡
 交通  : JR両毛線前橋駅または上毛電鉄中央前橋駅よりバス
       「鳥取町」バス停下車


       <沿革>
           長享元年(1487)十二月、長享の乱に際して、越後守護上杉定昌が鳥取城に在陣していた
          ことが、『赤堀文書』にみえる。また同文書には、翌二年(1488)二月に定昌の弟の山内上杉
          顕定が長尾景春の陣に「取鳥之諸軍」を差し向けたとする赤堀上野介政綱宛の書状がある。
          この「取鳥」も鳥取城を指すものと推測されるが、確証はない。
           その後の鳥取城については不明である。

       <手記>
           鳥取城は、大鳥神社境内付近を中心とする、藤沢川とその支脈の合流点に築かれています。
          『中世城館調査報告書集成』所収の縄張り図には、北辺と南辺の堀跡が記載されています。
           南辺の堀跡は、現在は畑と住宅の間の段差として残っています。北辺のものは、住宅の間の
          小路として見ることができます。神社境内も、堀に囲まれて周囲より一段高くなっているようにも
          見えるのですが、何ともいえません。
           鳥取城が史料に登場するのは、長享の乱の初期のみです。この頃、上杉定昌・顕定兄弟は、
          膳・山上の2城攻略にあたっており、鳥取城は東上州攻めの陣城として取り立てられたものでは
          ないかとも推測されます。小川を挟んだ東側に「東くるわ」の小字が残っているのも、兵の駐屯
          スペースとして、要害地形の範囲を越えて陣が構えられたからではないかなとも考えられます。

           
 大鳥神社。
神社裏手。 
左手から右手へ堀状になっているような…。 
 北辺の堀跡。
南辺の堀跡。 


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