波木井氏館(はきいし)
 別称  : 南部氏館、波木井氏屋敷
 分類  : 平山城
 築城者: 波木井実長
 遺構  : 削平地
 交通  : JR身延線身延駅からバスに乗り、
      「鏡円坊」下車徒歩10分


       <沿革>
           波木井南部氏初代・波木井(南部)実長の居館とされる。実長は甲斐源氏・加賀美遠光の三男・
          南部光行の三男で、13世紀前半に波木井郷地頭を父から譲られ波木井氏を称した。文永十一年
          (1274)には、流罪を解かれた日蓮を迎え入れ、身延山に草庵を結んで庇護している。
           永仁五年(1297)に実長が没すると、波木井氏の家督は四男・長義が継いだとされるが、梅平の
          屋敷のその後については不明である。長義の子孫の義実は、大永元年(1521)に今川氏へ通じた
          として武田信虎に「波木井の峯の城」を攻められ、誅殺された。


       <手記>
           身延山久遠寺総門の南東向かいにせり出した山裾の舌状部が、波木井氏館跡とされています。
          麓の墓地から山道が付いていて、電線鉄塔まで行かない手前に平坦地が広がり、一画に小社が
          祀られています。南西側は沢谷戸となっていて、その脇には一段低い窪地が見られますが、とくに
          防御設備のようなものは見当たりません。発掘調査からは、掘立柱建物跡や12世紀末ごろの土器
          が出土しているそうです。
           正面に身延山を仰ぎ見る絶好の眺望ポイントであるという点が、一番の特徴といえます。然るに、
          日蓮が起居し、その没後は遺骨が納められた身延山を日夜拝むことのできるこの地は、日蓮に深く
          帰依した実長にとって重要だったのではないかと推察されます。とすれば、この館は領主の行政府
          というより日蓮宗の寺務所のような役割を担っていたと考えられ、防御施設も豪華な建物も不要で
          あったのではないでしょうか。個人的には、領主としての波木井氏の居館は波木井の集落に臨む、
          実長開基と伝わる円実寺付近にあったのではないかと推測しています。
           また、波木井氏館跡の北東にある鏡円坊は、実長次男の屋敷跡とされています。該当する人物
          として六郎次郎実氏があり、実氏は常陸国に所領を得て加倉井氏の祖となりました。波木井氏の
          家督は実長四男の長義が継いだとされ、長義もまた日蓮に帰依して出家していることから、長義の
          代までは梅平の屋敷が使用されていたとも考えられます。
           ところで、波木井氏館の現地周辺には城館跡を示すような案内や標識はなく、鏡円坊の門脇に
          説明板が建てられています。ちなみに鏡円坊の本堂を参拝すると、私だけでなく誰しも驚きを隠せ
          ないのではないかと思います。何についてかをここに書くのは、その御心に背くような気がします
          ので、ぜひ皆さんの目で確かめてみてください^^

           
 波木井氏館跡の平坦地と小社。
館跡平坦地のようす。 
 南西側の窪地地形。
南西側の沢谷戸の砂防ダム。 
 館跡付近から正面に身延山を仰ぎ見る。
実長次男の屋敷跡とされる鏡円坊。 
 鏡円坊山門脇の説明板。
鏡円坊本堂。 


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