ケック城/
シュヴェービッシュ・ハル
( Keckenburg / Schwäbisch Hall )
 別称  : ケック氏塔、ケッケン城
 分類  : 都城、塔
 築城者: ケック氏
 交通  : シュヴェービッシュ・ハル駅より徒歩15分
 地図  :(Google マップ


       <沿革>
           シュヴェービッシュ・ハルとは、シュヴァーベンのハルという意味である(以下、しばしば
          短縮して「ハル」と呼称)。ハルはドイツ地域のなかでももっとも古い町の1つで、当初は
          製塩の町として発展した。「ハル」とは、この地に紀元前5世紀頃から住んでいたケルト人
          の「塩」を意味するケルト語に由来するといわれている。ハルでの製塩法は塩水を汲み
          上げて煮詰めるものだったらしく、その様子を表す西ゲルマン語が「ハル」の語源であると
          する説もある。
           ハルの名が初めて史料に登場するのは1037年の『エーリンゲン寄付行為書』とされる。
          だが、同書は実際は11世紀末ごろに作成されたものであるともいわれる。ハルははじめ
          コームブルク=ローテンブルク家の支配下に置かれていたが、1116年に同家が断絶する
          と、統治権はシュタウフェン家に譲られた。
           1250年に、城壁と7つの塔が構築されたと伝えられる(塔の建築は1240年とも)。ケック
          城(ないしケック氏塔:Keckenturm)は、この7つの塔のうちの1つである。ケック氏はハル
          の有力者であるが、その出自は不明である。『ホーエンローエの諸城(原題:"Burgen in
          Hohenlohe")』によれば、15世紀前半ごろの当主ハインリヒ・ケックは町一番の預金額を
          誇っていた。ハインリヒは、1400年頃に7つの塔のうち1つを購入し、住居として改装した。
          木組みの上層部は、1507~08年にかけて増築されたものである。
           このころのハルは製塩だけでなく、神聖ローマ帝国の自由都市としての活動やハラー
          硬貨と呼ばれる貨幣の鋳造で栄えていた。都市が発展するとともにハルは市域を拡大し、
          城壁などの防備も拡充していった。1525年のドイツ農民戦争や、1618年に始まる三十年
          戦争でも陥落することはなかった。
           1728年、ハルの町は大火に見舞われ、市街の3分の2ほどを焼失した。ケック城は被災
          を免れたが、1740年に市街の復興様式に合わせて塔もバロック調に改築された。1802年、
          ヴュルテンベルク公フリードリヒ3世は、ライン左岸をフランスに割譲する代わりに、ハルを
          含む9つの帝国自由都市を併合した。その後、近代化の波とともにハルの城壁や堀は一部
          を除いて取り崩されていったものと推測される。
           ケック氏塔がいつごろまでケック氏の所有であったかは詳らかでないが、1936年からは
          市の歴史的収集物の収蔵庫として活用された。現在は、ハル=フランケン博物館の一部
          となっている。

       <手記>
           シュヴェービッシュ・ハルは、ネッカー川の支流コッヒャー川の谷間の都市です。完全に
          山間の町で、平地はほとんどなく、谷の斜面に中近世そのままのような家々が立ち並んで
          います。日本でいえば「小京都」といったところでしょうか。普通に考えれば都市など発展
          できる地形にはないのですが、塩水を産出するというところから帝国自由都市にまで成長
          した特異な町といえます。
           「シュヴェービッシュ・ハル」という都市名は、ナチ時代に確定されて今日まで正式名称
          として使われていますが、ハルの人々の帰属意識はシュヴァーベンよりもホーエンローエ
          地方にあるようです。ハルの人口は4万人弱ほどしかありませんが、ドイツ国民銀行住宅
          金融公庫株式会社の本社があるなど、ドイツ国内屈指の財政的に裕福な都市として知ら
          れています。ドイツ全体の失業率が10%を超えるなかでも、ハルの失業率は3%程度にとど
          まっていたことが、ハルっ子の自慢です。
           他方で観光地としても栄えていて、前述のとおり中近世さながらの街並みが魅力です。
          城塞都市としての遺構は旧市街の南側に多く残っています。とくに南辺の堀跡は、当時
          のままほとんど手つかずの状態で保存されています。他の外周の堀跡も町の環状道路と
          なって、その所在を今に伝えています。東辺の堀跡の下をくぐる地下歩道には、1250年に
          築かれた城壁跡を示す壁面表示が設けられています。
           城壁に付随する塔の1つであったとされるケック氏塔は南辺の堀端にあります。5階建て
          のこの塔は、現在では周囲の建物とどっこいどっこいの高さとなっていて、かなり早いうち
          に防御塔としての役割を終えていたものと推測されます。内部はハル=フランケン博物館
          となっていて、この地方の歴史的な資料が展示されています。上の写真は旧市街南側の
          建物群をコッヒャー川の中洲から撮ったものですが、窓から垂れ幕の下がっている高い
          建物がケック氏塔です。一番後背の巨大建造物は、1526年に建てられた武器庫です。
           ハルの旧市街中心部はコッヒャー川東岸にありますが、西岸にも町は広がっていました。
          西岸地区北端のヴェラー門は、現在残っているもっとも大きな城門です。1200年に築かれ、
          増改築を繰り返して今の姿になったそうです。1526年に増築された城門上階の櫓部分は
          賃貸アパートに改装されていて、鋭意契約募集中のようでした。一城の主…とまでは言い
          ませんが、中世の武将の気分を味わいたい方はひと夏の別荘にでもいかがでしょう^^。

           
 旧市街南辺の堀跡。
 大きな建物は旧武器庫です。
東岸旧市街南辺の旧城門。 
 マルクト広場脇のもっとも古い城壁の断片(建物の間)。
 手前下に見える柱は、罪人の晒し台の磔柱。
旧市街東辺堀跡を横断する地下道の城壁跡を示す表示。 
 西岸旧市街北辺のヴェラー門。
おまけ:マルクト広場から聖ミヒャエル教会を見上げる。 
夏場は教会前の階段で連日野外劇が催されます。 


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