八田家御朱印屋敷(はったけごしゅいん)
 別称  : 八田氏屋敷
 分類  : 平城
 築城者: 末木政清ないし八田新左衛門尉
 遺構  : 書院、土塁、堀跡
 交通  : JR中央本線石和温泉駅徒歩15分


       <沿革>
           『八田家文書』によれば、天正十年(1582)の武田氏滅亡に際し、織田方の兵火に
          よって全焼したとある。同年の天正壬午の乱を経て甲斐が徳川家康領となると、末木
          東市佐政清・八田新左衛門尉兄弟が家康から御朱印を得て建物を再建したと伝わる。
          『文書』の記述が正しければ、天正十年以前から同地に末木氏ないし八田氏の城館
          が営まれていたことになる。
           末木氏は現在の一宮町末木を本貫とした土豪で、政清の祖父正重まで遡ることが
          ができる。宇都宮宗円の養子八田宗綱の子孫を称しているが、実際の出自は定かで
          ない。新左衛門尉については、武田氏時代に蔵前衆として活動していたことが明らか
          となっている。政清も八田氏を称していたようだが、御朱印屋敷がどちらのものだった
          のかは詳らかでない。
           政清・新左衛門尉兄弟の跡は、政清の次男政俊が併せて継承し、大身郷士として
          続いた。


       <手記>
           石和温泉の中心部にある八田家御朱印屋敷は、敷地が県史跡に、現存する書院が
          県有形文化財に指定されています。公園化され公開されている部分だけでも結構な
          広さがありますが、これでも御朱印地(屋敷地)の一部なのだそうです。
           城館跡遺構としては、東辺および北辺の土塁と堀跡の水路が残っています。北辺の
          土塁は二重になっていますが、外側のものについては市街地化に伴って付け足された
          ようにも見受けられます。このほか、東辺には石和陣屋(石和代官所)から移築された
          表門があります。
           八田家については、宇都宮氏流八田氏の後裔を称していますが、とても信じられる
          ものではありません。そう言い切るだけの証拠があるわけではありませんが、八田氏
          嫡流である常陸小田氏が健在なうちに、系譜も不明な末木氏が八田に「復姓」できる
          とはちょっと考えづらいように思うのです。『甲斐国志』等に「大石和八田村」とあること
          から、実際には新左衛門尉が八田村に館を構えて末木氏から分家して八田氏を称し、
          後に政清も八田村に身を寄せることになったことから、以後末木から八田に名乗りを
          変えただけなのではないかと考えています。
           ちなみに、石和といえば有数の温泉街として有名ですが、石和温泉が発見されたの
          は意外にも戦後の昭和三十六年(1961)のことなのだそうです。

           
 八田家書院。
 北辺の土塁。 
ただし、見えている部分は後世のものか。 
 北辺の土塁が二重になっているようす。
東辺の土塁。 
 石和陣屋移築表門。
屋敷跡俯瞰。 


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