羽床城(はゆか)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 羽床重高
 遺構  : 曲輪、土塁、堀、虎口、土橋
 交通  : 琴電琴平線羽床駅徒歩20分


       <沿革>
           讃岐国人羽床氏累代の居城である。羽床氏は、藤原北家魚名流藤原家成の孫の
          周防守資高が、仁平年間(1151〜53)ごろに羽床郷を領したことにはじまる。現地の
          説明板によれば、羽床城を築いたのは資高の子重高とされる。
           天正二年(1574)、重高の弟資光の後裔にあたる香西佳清が阿波の三好長治と
          対立すると、佳清の舅にあたる羽床資載は香西氏に与して長治勢と戦った。しかし、
          佳清は資載の娘を一方的に離縁したため、資載は反香西氏に転じた。
           天正七年(1579)、長宗我部元親が讃岐へ侵攻すると、資載は他の讃岐の国人
          たちとともにこれに抵抗した。だが、圧倒的な兵力差を前に資載は降伏した。資載が
          死ぬと、跡を子の資吉が継いだ。
           天正十三年(1585)の羽柴(豊臣)秀吉による四国平定に際しては、資吉は所領を
          安堵されたものと推測されるが、詳細は定かでない。翌十四年(1586)の戸次川の
          戦いで資吉は討ち死にし、羽床氏は断絶した。羽床城もそのまま廃城となったものと
          思われる。


       <手記>
           羽床城は、綾川南岸の丘陵地帯の一角にある半独立丘を利用した城です。南東
          向かいの本法寺との間に登山口があり、地元の小学生が制作した可愛らしい案内
          板が設置されています。
           山頂に土塁のみで仕切られた本丸と二の丸があり、その下に複数の曲輪が点在
          しています。私が訪ねたときはちょうど木が伐られた後だったようで、見学はとても
          しやすかったのですが、少々刈りすぎている感じで土がやや流出してしまっている
          状態でした。
           本丸下の帯曲輪からぐるっと回り、土橋を渡って二の丸に入って、そこから仕切り
          土塁の虎口を抜けて本丸に到着。さてもう少し奥を見てみようかと思ったところ、
          向こうの藪にガサガサという音とずんぐりとした影が…。なんと、立派なイノシシの
          成体が徘徊していました。シカなら目が合えば逃げてくれますが、イノシシはそうは
          いきません。気づかれて突進でもされようものなら命にかかわります。なのでそれ
          以上は踏み込めず、そそくさと城山を後にしました(汗)。
           ところで、羽床城はとてもなだらかな丘で、あまり要害性は認められません。周囲
          にはもっと城砦を築くには向いていそうな場所がいくらでもあります。それでもなお
          ここを居城としたからには、この城の背後に抱える谷戸が、生産上とても重要だった
          のだろうと拝察されます。

 羽床城址近望。
登城口の案内板。 
 本丸のようす。
本丸から二の丸側を望む。 
 本丸と二の丸の間の虎口。
二の丸のようす。 
 二の丸下の城址碑。
堀と土橋。 
 帯曲輪。
帯曲輪から見た本丸・二の丸の切岸。 


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