![]() |
広長城(ひろなが) |
別称 : 西光屋敷 | |
分類 : 平城 | |
築城者: 西光(藤原師光) | |
遺構 : なし | |
交通 : JR徳島線鴨島駅から車で10分 | |
<沿革> 後白河法皇の第一の近臣と称された僧・西光の屋敷とされる。西光は阿波の在庁官人・ 麻植為光の子で、中納言・藤原家成の養子となり藤原(近藤)師光と名乗っていたが、平治 元年(1160)の平治の乱を機に出家した。 安元三年(1177)、西光は藤原成親や俊寛らと共に、平家打倒を図ったいわゆる鹿ヶ谷の 陰謀の首謀者となった。しかし、露見して平清盛に誅殺され、師高・師経・師平の3子も斬首 された。これにより広長城も廃されたとみられるが、確証はない。また、西光にはもう一人、 広長という子がいたともいわれるが、広長城との関連は不明である。 <手記> 広長城の推定地には2か所あり、一つは柿原の若宮神社付近、もう一つが阿波高校付近 です。高校のグラウンドには西光屋敷の石碑が、正門脇には「広永城址」の石碑があるそう ですが、遺跡地図では若宮神社を広長城跡としており、こちらを訪れるに留めました。ただし、 神社周辺には説明や案内などはありません。 いずれにしても、城館跡につながるような遺物はなさそうです。時代が時代ですから、城と いうより純粋に貴族の屋敷だったのでしょう。 |
|
若宮神社。 | |
神社奥にある祠。 |