弘前城(ひろさき)
 別称  : 高岡城、鷹ヶ岡城
 分類  : 平山城
 築城者: 津軽為信
 遺構  : 天守、櫓、門、石垣、土塁、水濠など
 交通  : JR奥羽本線弘前駅または弘南鉄道中央弘前駅
       よりバス


       <沿革>
           現在の弘前城は、津軽藩祖津軽為信が、それまでの居城であった堀越城に代わる新たな都城と
          して鷹ヶ岡の地に築城を計画したことに始まる。この地には、既に小山内氏の鷹ヶ岡城が営まれて
          いたいわれる。
           正確な起工の時期には諸説あるように見受けられるが、本格的な築城は、為信死後に2代藩主
          信牧によって、慶長十四年(1609)に始められた。旧居城の堀越城や大浦城などから資材を調達し、
          1年余月後の慶長十六年(1611)に完成した。
           当初は、本丸の南西隅に五層の天守が上げられていたが、寛永四年(1627)に落雷により焼失
          した。現在の三層天守は、文化七年(1810)に9代藩主寧親が本丸辰己櫓を改築したものである。
           現在、東北唯一の現存天守のほか、3棟の櫓と5棟の城門が現存している。


       <手記>
           弘前城といえば、城としてよりも、むしろ桜の名所として全国に知られた存在でしょう。私も半年前
          から宿を予約して、家族でゴールデンウィークの花見を楽しみにしていたのですが、2008年は異常
          気象もいいところで、5月1日にはソメイヨシノはすべて新緑になるほどの暑さでした。一応、物は考え
          ようで、遅咲きの八重や枝垂れや変り種の桜が見ごろでしたが、やはり満開のソメイヨシノの弘前を
          一度訪れてみたいものです。
           弘前城の天守は急ごしらえの改造天守ということで、こじんまりとしていますが、私としてはこういう
          落ち着いた纏まりのある天守のほうが好きです。南西隅には旧天守の跡という物見台があるのです
          が、とても五層の天守が乗っていたとは思えない広さです。この櫓台の北側には石垣が鉤字に折れ
          た部分があるため、旧天守はおそらくこの屈折部を北端としていたのではないかと思われます。
           弘前城には、広大な城域や種々の門、櫓が残っており、近世城郭の中でも非常に満足度の高い
          城だと思います。難点は、観光客のほぼすべてが目指す場所にもかかわらず、観光用の100円バス
          でも20分近くかかるところでしょうか。是非次こそは、桜の時期に訪れたいものです。


           
 下乗橋より天守を望む。
本丸より天守を望む。 
 追手門と枝垂桜。
 二の丸辰己櫓。 
 同上。
二の丸未申櫓。 
 二の丸南内門。
二の丸丑寅櫓。 
 亀甲門。築城当初はこちらが大手だったとされる。
  館神跡。藩主などの祭祀の空間とされる。 
 館神跡から天守を望む。
 隠れた撮影スポットだそうです。


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