ケーニクスブール城
(Château du Haut-Kœnigsbourg)
 別称  : ホーケーニヒスブルク城、キンツブルク城
 分類  : 山城(Höhenburg)
 築城者: シュヴァーベン大公フリードリヒ2世
 交通  : セレスタ駅よりバス利用
 地図 : (Google マップ


       <沿革>
           12世紀前半ごろ、ドイツ皇帝フリードリヒ1世(赤髭王:バルバロッサ)の父シュヴァーベン大公
          フリードリヒ1世によって築かれたと考えられている。1147年に、「シュタウフェン家の城」として
          史料に現れている。1192年からはキンツブルク城と呼ばれた。13世紀には、城はロレーヌ公
          (ロートリンゲン公)の所有となった。その後、城と周辺の領地はエッティンゲン伯フリードリヒ2世
          に抵当に入れられていたが、エッティンゲン伯は1359年に城をストラスブール大司教に売却した。
           1454年、キンツブルク城はプファルツ選帝侯フリードリヒ1世によって攻め落とされ、1462年には
          盗賊騎士団により破壊された。1479年、キンツブルク城は神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ3世
          によってティーアシュタイン伯に与えられた。しかし、1517年にティーアシュタイン家は無嗣断絶と
          なったため、皇帝マクシミリアン1世に返された。
           三十年戦争さなかの1633年、キンツブルク城はスウェーデン軍に包囲され、52日間の攻城戦
          に耐えたものの、9月7日に開城した。以後、廃墟として様々な所有者の手に渡った。
           1871年、普仏戦争に勝利したプロイセンがドイツ帝国を建国し、エルザス=ロートリンゲン地方
          は帝国領となった。1899年、シュレットシュタット市(現在のセレスタ市)が城を皇帝ヴィルヘルム
          2世に献上し、1901~08年にかけて、建築家ボードー・エプハルトによって修復工事が行われた。
          修復費用の大部分をエルザス=ロートリンゲン州が捻出したため、ドイツ帝国に属したばかりの
          同地域にとって多大な負担となった。
           1919年、第一次世界大戦の戦後処理によってアルザス=ロレーヌ(エルザス=ロートリンゲン)
          がフランス領となると、城もフランスの国有財となった。2007年からはバ=ラン県の所有となって
          いる。


       <手記>
           フランス語でケーニクスブール城、ドイツ語でケーニヒスブルク城と呼びます。どちらも「王の城」
          という意味です。周囲の諸城に比べてやや高い山の上にあり、細長い船艇のような縄張りをして
          いるのが特徴です。
           アルザス地方の城は朽ちたままのものが多いのですが、この城は「修復」以上に立派に再建
          されていて、アルザス南部の観光の目玉の1つにもなっています。私が訪れたのはクリスマスの
          頃だったので、写真には雲海が広がるのみですが、夏場の晴れた日にはアルザス地方を一望
          できるだろうと思います。雲海と樹氷に覆われたメルヘンの城というのも、幻想的で綺麗でしたが。
           アルザス=ロレーヌといえば、ドイツとフランスの長年の係争地であり、現在では欧州連合の
          中心地の1つとなっています。ケーニクスブール城もドイツによって築かれ、スウェーデンによって
          落とされ、再びドイツによって再建され、現在ではフランスの所有という、数奇な運命をたどって
          います。


           
 ケーニクスブール城外観。
ケーニクスブール城内部からの眺め。 
 城内の塔から城壁を望む。


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