チェネルスブルック城
(Chennelsbrook Castle)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: ウィリアム・ド・ブラオーズか
 交通  : リトルヘイヴン駅徒歩10分
 地図  :(Google マップ


       <沿革>
           1110年ごろ、ブランバー城主ウィリアム・ド・ブラオーズないしその子フィリップによって、狩猟用の
          城館として築かれたと考えられている。ただし、実際の城主はチェネルスブルック(チェネルス川)の
          河川名から、ウィリアムの甥とされるウィリアム・ド・チェルネラ(de Chernella)であったとみられて
          いる。ブラオーズ家はルマンディー公ギヨームによるノルマン・コンクエストに従軍した封建貴族
          (feudal baron)で、元はノルマンディー地方ブリウーズ(Briouze)の領主であった。ブリウーズの
          近くにはラ・カルネイユ(La Carneille)という集落があり、チェルネラ家の本貫と推測される。
           1160年ごろ、チェネルスブルックの城は故意に破壊されたと推定されている。このころ、1139年
          から国王スティーブンと従姉のマティルダとの間で内戦が勃発し、1154年のウォーリングフォード
          協定によって終結した。15年にわたる内乱で多くの城砦が破壊されており、チェネルスブルック城
          もその一つであったと考えられている。


       <手記>
           チェネルスブルック城跡はホーシャムの市街域の北端に位置しています。この城は、考古学者の
          ヒュー・ブラウンが1935年に列車の窓から発見したという、大森貝塚と同じようなエピソードをもって
          います。したがって史料にはみられず、名称も城丘に沿って流れる小川から付けられたものです。
           周囲は住宅街ですが国の史跡に指定されているようで、、草は刈られているもののそのままで
          保存され、近隣住民の格好の散歩コースになっています。表向きは狩猟館ということで、この時代
          に典型的なモット・アンド・ベイリーとは異なり、丘上ではなく三方を川に囲まれた平地の突端という
          選地が特徴の一つです。また、主郭と副郭の最低2つの曲輪から成っていたようで、それぞれが
          堀で独立しており、単なる御殿には収まらない防御性を有していたことは明らかです。さらに、川の
          下流側をダムで堰き止め、主郭の南西側は人工の池になっていたと考えられています。
           鉄道の駅から近いには近いですが、イギリスの鉄道は勝手が悪く、この城跡のためにローカル
          駅で降りるのはよほど旅程に余裕がないと難しいでしょう。車で私を連れて行ってくれた友人には
          心から感謝です。

 城跡の説明板と縄張り図。
空堀越しに城跡を望む。 
 主郭の空堀。
主郭内のようす。 
 副郭のようす。
城跡を囲って流れるチェネルスブルック川。 
 川を渡る遊歩道の橋。
川がダムで堰き止められていたあたり。 


BACK