今城(いましろ) | |
別称 : 郡家古城 | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 不明 | |
遺構 : 不詳 | |
交通 : JR京都線摂津富田駅徒歩25分 | |
<沿革> 今城塚古墳は『摂陽郡談』に「郡家古城」として記され、城砦として利用されたと推測されて いるが、確証はない。 <手記> 高槻市街西方の今城塚古墳は、継体天皇の御陵とする説が有力だそうです。しかしながら 宮内庁はその西側の太田茶臼山古墳を継体天皇陵と治定しており、頑なに認定変更を拒否 しているそうです。 今城塚古墳は公園として整備され、もはや真の継体天皇陵と称して憚らず、全国で唯一の 誰でも立ち入り可能な天皇(大王)陵と喧伝しています。埴輪の展示場や芝生の広場なども あり、市民の憩いの公園として親しまれているようでした。 城跡としてみると、墳丘に堀切や切岸のような地形が見られるものの、そもそも慶長元年 (1596)の伏見大地震で大きく崩れているそうで、はっきり断言できるようなものは見当たり ません。そもそも史料上も城として転用された事実は確認されておらず、実際には「今城」の 地名からの推測ではないかとも思われます。 というわけで、今城塚古墳は城跡云々というより、巨大な天皇陵を歩ける公園として楽しい ところでした。宮内庁にはどうか今後とも、つまらない意地を張り通してこちらを天皇陵に治定 しないようお願いします笑 |
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北側から墳丘を眺める。 | |
同じく南側から。 | |
墳丘の南西隅を望む。 まるで西洋要塞の稜堡です笑 |
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埴輪の展示場。 | |
墳丘の南西隅。 当時のままで残っている箇所だそうです。 |
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堀切に見えてしまう地形。 | |
同じく切岸に見えてしまう地形。 |