櫟野大原城(いちのおおはら)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 大原伴三郎
 遺構  : 曲輪、土塁、堀、虎口
 交通  : JR草津線油日駅から車で7分


       <沿革>
           16世紀に大原伴三郎が築いたとされる。大原氏は柏木三家の一つ・伴氏の一族で、
          甲賀五十三家や南山六家に数えられている。大原氏族の築いた城館は旧甲賀町内に
          散在しているが、大原伴三郎の系図上の位置づけは定かでない。


       <手記>
           櫟野川沿いに突き出た細峰の上に築かれた城です。川下には、同じ大原一族とみら
          れている滝川氏の滝川城などがありますが、大原伴三郎との関連はやはり不明です。
          自分は南東麓の県道沿いから直登しましたが、後で気づいたことに、北麓の畦道沿い
          に説明板や登城口、さらには広い駐車スペースまで用意されていました。
           東端には2条の堀切が穿たれ、その間は削平された曲輪となっています。西側の堀切
          に沿って四周を土塁で囲まれた方形曲輪があり、その西隣一段下には城内で最も広い
          曲輪が設けられています。現地の説明板では東端の削平地が主郭となっていますが、
          普通に考えれば、土塁で囲繞された方形曲輪が主郭でしょう。
           主郭は堅固ではあるものの、あまり広くはありません。伴三郎が城内に居住していたと
          すれば、それはおそらく西隣下の最も広い曲輪と思われます。
           そして、この城で特徴的なのは、西端峰先に設けられたV字状の堀と土塁です。土塁の
          間はわずかに均されているものの、立てるのは4〜5人が限度といった狭さで、果たして
          曲輪と呼べるものか疑問です。単純な遮断施設としても、主城域からは少し離れており、
          この造作の使用目的についてはいささか判然としません。

 櫟野大原城跡全景。
北麓の登城口。 
 東端の堀切。
東端の曲輪。 
 主郭と東端の曲輪の間の堀切。
主郭のようす。 
 同上。
主郭西隣一段下の曲輪。 
居館跡か。 
 主郭と西隣の曲輪の間の土塁。
居館跡曲輪西側の堀切。 
 西端のV字状の堀と土塁。
同上。 
 V字状土塁の間。
 曲輪かは不明です。


BACK