岩鼻陣屋(いわはな) | |
別称 : 岩鼻代官所、岩鼻砦 | |
分類 : 平城 | |
築城者: 江戸幕府 | |
遺構 : 堀跡、古墳 | |
交通 : JR八高線北藤岡駅徒歩20分 | |
<沿革> 寛政五年(1793)、幕府直轄領を治める代官所として、江戸幕府によって建設された。 初代代官として、吉川栄左衛門貞寛と近藤和四郎が派遣された。陣屋の敷地には、16 世紀に和田業繁が築いた「岩鼻砦」があったとされるが、詳細は不明である。 慶応元年(1864)、木村甲斐守勝教が関東郡代に任命され、岩鼻に赴任したとされる。 同三年(1866)には関東郡代に代わって関東在方掛が新設され、勝教がそのまま初代 在方掛に任じられた。関東在方掛は、関東の幕府直轄領、旗本領および寺社領を二分 して治めるもので、岩鼻陣屋の管轄は武蔵・上野・下野の3国にわたった(下総・上総・ 安房・常陸を管轄するもう一方は布佐陣屋に置かれた)。 翌慶応四年(1867)に江戸幕府が倒れると、明治新政府によって岩鼻県が設置され、 岩鼻陣屋は岩鼻県庁に転用された。明治四年(1871)、岩鼻県は群馬県に統合され、 陣屋は県庁としての役目にも終止符を打った。 <手記> 岩鼻陣屋は、中山道の烏川の渡河点近くの要衝に位置していました。ただ、街道に 直接面していたわけではなく、観音寺の西側に土手に挟まれた細長い大手道が通じて いたそうです。また、当時の中山道は、現在の柳瀬橋の東方200mくらいのところで渡河 していたようです。 陣屋跡一帯は、現在日本化学工業の社宅や研修施設などになっており、見学できる 範囲は限られています。跡地内には天神山と呼ばれる古墳があり、山頂には天満宮が 祀られています。その麓にある説明板が、陣屋を直接示す唯一のものとなっています。 それによれば、当初は天神山が南東隅にあたっていましたが、時期は不明ながら最低 1回の改修工事を受け、山の南側へ倍程度の拡張がなされていたようです。 観音寺墓地と研修施設の間には、説明板の縄張り図と合致する堀状の地形が認め られます。施設建設にともなうものとも考えられますが、あるいは当時の堀の名残かも しれません。もしそうであるとすれば、貴重な陣屋の遺構ということになります。 |
|
天神山。 麓に説明板が見えます。 |
|
観音寺裏手の凹状地形。 堀跡か。 |