カイザースヴェルト
(Kaiserpfalz Kaiserswerth)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: ハインリヒ2世
 交通  : デュッセルドルフ旧市街より観光船、
       またはデュッセルドルフ中央駅よりトラム
       Klemensplatz電停下車徒歩5分
 地図 : (Google マップ


       <沿革>
          Kaiserpfalz(カイザープファルツ)とは皇帝の居城という意味で、Werthとは中高ドイツ語で
         「中州」という意味である。カイザースヴェルトに最初に城が築かれたのは1016年とされる。
         それまでは同地には、698年ごろに修道士ズヴィトベルトが創建した修道院があった。
          築城の同年、ロートリンゲン宮中伯エーレンフリート・フォン・ロートリンゲン(通称エッツォ:
         Ezzo)と和解した神聖ローマ皇帝ハインリヒ2世は、城と中州をエッツォに譲渡した。1047年
         にエッツォの子オットー2世が死ぬと、城と中州は再び帝国に返された。皇帝ハインリヒ3世
         (黒王:在位1046〜56)によって、カイザースヴェルトに最初の本格的な宮城が建設された。
          1062年、ハインリヒ3世の跡を幼くして継いだ11歳のハインリヒ4世は、カイザースヴェルト
         を訪れていたところを饗応役のケルン大司教アンノ2世に誘拐された。アンノ2世に舟遊びに
         誘われたところ、ケルンへ連れ去られたといわれる。アンノ2世の目的は、自身の政治的
         地位の上昇のため、あるいは幼いハインリヒ4世の後見を務めていた母アグネスの権力を
         削ぐためなどといわれるが、実際のところは明らかとなっていない。自然、ハインリヒ4世の
         足はカイザースヴェルトから遠のき、その後しばらく皇帝の御座所としては使われなかった。
          1174年、皇帝フリードリヒ1世(バルバロッサ:赤髭王)は、ライン川航行の船から徴税する
         ための関所をティールからカイザースヴェルトに移した。これによって、カイザースヴェルトは
         経済の中心地として活気を取り戻した。関所移転に伴い、1184年にカイザースヴェルトは
         大規模な改修を受けた(1193年とも)。現在に残る城の遺構は、このときのものである。
          1247年、皇帝フリードリヒ2世の対立王ヴィルヘルム・フォン・ホラント(ウィレム2世)は、
         1年にわたりカイザースヴェルトを包囲し、糧秣の切れた城兵は降伏した。その後14世紀
         初めごろまで、歴代皇帝の逗留地として利用された。14世紀中ごろ以降は、抵当の対象
         として所有者が転々と変わった。
          1656年、火薬の爆発によって城は大きく損傷した(1655年とも)。1688年から始まった
         プファルツ継承戦争では、当時の城の所有者であったケルン大司教ヨーゼフ・クレーメンス・
         フォン・バイエルンがフランス側に立ったため、カイザースヴェルトにフランス軍が駐屯する
         こととなった。1689年、ブランデンブルク選帝侯ら大同盟軍がカイザースヴェルトを包囲し、
         このときも兵糧が尽きたためにフランス軍は降伏した。この戦いで城はさらに破壊された。
          1701年にスペイン継承戦争が勃発すると、ヨーゼフは再びフランス側についた。このため、
         1702年にカイザースヴェルトはプファルツ選帝侯ヨハン・ヴィルヘルム2世らの軍に攻められ、
         落城した。この際の攻城は近隣の家々がことごとく灰燼に帰すほどの激しいものであった
         とされる。戦後、ヨハン・ヴィルヘルム2世は重ねて城の徹底的な破壊を命じたといわれ、
         カイザースヴェルトは完全な廃墟となった。
          その後、カイザースヴェルトの町が徐々に復興するに及んで、城跡の石材は建築資材と
         して転用されていった。1838年、城の所有者がケルン大司教からカイザースヴェルトの町
         に移り、カイザースヴェルトの町は1929年にデュッセルドルフ市に併合された。

       <手記>
          「カイザースヴェルト」自体は地域名であり、厳密にいえば城を指すものではありません。
         正式には「カイザースヴェルト皇帝居城」などとなります。ただし、観光客が単にカイザース
         ヴェルトといえば城跡を指していることは分かるので、それほど大きな問題ではありません。
          カイザースヴェルトの属するデュッセルドルフは欧州屈指の商業の拠点であり、そのため
         か市内にはあまり中近世の面影を残すものはありません。カイザースヴェルトは、そんな
         デュッセルドルフの数少ない貴重な観光資源の1つとなっているようです。訪れてみると、
         近世まで使われていたとは思えないほどの廃墟っぷりで、完全に遺跡以外の何物でも
         ありません。見学ルートはしっかり整備されていて、ところどころにある説明板を見ながら、
         歴史に詳しくない人でも十分楽しむことができます。
          カイザースヴェルトへは、デュッセルドルフ旧市街の船着場から観光船を利用することを
         お勧めします。このあたりのライン川はとくに風景に優れているという訳でもありませんが、
         乗ってしまえば迷うことなく確実にカイザースヴェルトの眼前にたどり着くことができます。
         デュッセルドルフ中央駅からトラム(路面電車)でも行けきますが、多少ややこしいので、
         やはり船で行くのが間違いないと思います。
          ちなみに、カイザースヴェルトを破壊し尽くしたヨハン・ヴィルヘルム2世は、通称ヤン・
         ヴェレムと呼ばれデュッセルドルフ市では英雄視されています。市庁舎の前には、ヤン・
         ヴェレムの立派な銅像があります。


           


カイザースヴェルトのようす。


BACK