シェールナン ( kärnan ) |
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別称 : なし | |
分類 : 平山城 | |
築城者: ヴァルデマー1世 | |
交通 : ヘルシンボリ駅徒歩10分 | |
地図 :(Google マップ) | |
<沿革> 築城の経緯についてははっきりしない。ヴァイキングや『エッダ』や『サガ』に登場する伝説上の デンマーク王フロージが築いたとする言い伝えもあるが、証拠はない。デンマーク王ヴァルデマー 1世によって、1150年ごろに築かれたとする説が有力である。 13世紀前半に方形の塔が建造され、1296年にはデンマーク王エーリク6世がこの城で結婚式を 挙げている。しかし、現存する塔は1320年前後に建てられたとされ、年輪年代法からもこのことが 裏付けられている。デンマークにとってエーレ海峡を掌握するこの城は重要であり、15世紀前半の 国王クリストファ3世などは、シェールナンを居城としていた。当時のシェールナンは中央の主塔を 中心に円形の堀と城壁を巡らしていて、城壁には14本の塔を配し、城への出入りは曳橋によって 制限されていた。 17世紀中期の北方戦争でデンマークがスウェーデンに敗れると、1658年のロスキレ条約により ヘルシンボリを含むスコーネ地方はスウェーデンに割譲された。1675年にデンマークがスコーネ の奪回を目指してスコーネ戦争を仕掛けると、シェールナンはデンマーク軍によって制圧された。 このとき、デンマーク軍は城に縦7m、横17mという巨大な国旗を掲げたとされる。この旗は後に スウェーデン軍に接収され、ストックホルムのスウェーデン陸軍博物館に収蔵されている。1679年 にルンド条約が成立すると、スコーネはスウェーデン領に戻された。 戦後、スウェーデン王カール11世はシェールナンの廃城を決めた。ヘルシンボリの戦略的価値 の低下に加え、スコーネ戦争のように、外敵が侵入した際に拠点として利用されてしまうことを 嫌ったのが理由とされる。シェールナンは主塔を残して埋め均され、主塔はスウェーデンによる スコーネ支配のシンボル、およびエーレ海峡を航行する船の目印として利用された。海峡を通行 する船は、シェールナンのスウェーデン国旗に敬意を表して礼砲を撃つことが義務付けられた。 19世紀末には廃墟となっていたが、1893年から修復工事が行われ、1903に現在見る姿に整え られた。 <手記> シェールナンとは英語のコアに相当する言葉だそうで、おそらく城の中心となる塔を指している ものと思われるのですが、そうなると城自体は何と呼ばれていたのだろうということになりますが、 これがどう調べても分かりませんでした。 城の遺構としては主塔が1本残っているだけで、周囲の堀などは完全に埋められ均されている ようです。ただ、麓の街を見下ろす高台に遮るものなく建ってるので、シンボル的に目立つ建物 です。 ドイツ式のベルクフリートよりもイギリスのキープに近いようで、塔内にはかまどや礼拝堂などの 居住を前提とした部屋がいくつかありました。対岸のクロンボー城に比べるときわめて中世的で、 私のような古城址ファンにはとくに楽しめるお城です。塔の屋上からの眺めは素晴らしく、エーレ 海峡とその向こうにデンマークが望めます。 シェールナンのあるヘルシンボリは、デンマーク側のヘルシンゲルに比して町場に適した平地 も少なく、そこまで良港という感じでもなく、要害の地でもありません。おそらくは、エーレ海峡が 最も狭まるそのスコーネ側というだけでここまで発展した、イギリスのドーバーのような都市なの かなと思いました。 |
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シェールナンを正面から。 | |
山麓にあるかつてのシェールナンのレリーフ。 | |
後世に整備された門と階段越しに望む。 | |
屋上のようす。 | |
屋上からヘンシンボリ市街を俯瞰。 | |
屋上からクロンボー城をズームで。 | |
塔内の礼拝堂。 | |
塔内のかまど。 | |
城内のチャペル跡。 |