愛宕山城(あたごやま) | |
別称 : 愛宕城 | |
分類 : 山城 | |
築城者: 不明 | |
遺構 : 土塁、堀 | |
交通 : しなの鉄道・JR小海線小諸駅よりバス 「鴇久保」バス停下車徒歩10分 |
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<沿革> 天文十七年(1548)に武田晴信の軍勢によって攻め落とされたとする伝承が残るが、 詳細は不明である。 <手記> 県道153号線鴇久保バイパスの中途に、記念碑の立つ公園があるのが目に入ります。 これが愛宕山城跡で、公園内には名称の由来となっている愛宕社と思しき石祠が2基 あります。 城址碑ではないものの、記念碑の裏には城の由来について結構詳しく書かれた碑文 があります。それによれば、愛宕山城は主郭の他に曲輪が2つあり、堀切が主郭の西側 に2条、東側に1条あったとされています。現在では、バイパスや公園の建設によって、 旧状をうかがうのは困難な状態です。とくにバイパス形式の道路ができてしまうと、遺構 の有無だけでなく地形を確認することも難しくなってしまうのが残念です。 愛宕山城は楽巌寺城ないし堀ノ内城の支城とみられていますが、純粋な軍略上の砦 とするには、いささか中途半端な位置にあります。一応細尾根上の小ピークにあります が、峰先というわけでも眺望に優れた頂部というわけでもありません。むしろ地図上から みて愛宕山の特徴といえるのは、眼下に鴇久保の集落を扼しているということです。 おそらく当時は、鴇久保経由で諏訪山台地に上る道がメインルートとしてあったものと 思われ、これを監視・掌握するのが第一の役割であったと推測されます。 |
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愛宕社か。 | |
土塁跡か。 |