久津呂城(くづろ)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 崩三郎左衛門か
 遺構  : 曲輪、堀、土塁
 交通  : JR氷見線氷見駅からバスに乗り、
      「万尾」下車徒歩15分


       <沿革>
           『日本城郭大系』によれば、はじめ崩三郎左衛門が居城していたとされる。天正六年
          (1578)には、能登国穴水城奪還を図る長連龍が一時入城したといわれる。


       <手記>
           下久津呂集落の背後に細く突き出た小峰が久津呂城跡です。私が訪れたときには、
          北麓で新道の建設工事が行われていて、それに伴うものか城山の北側だけハゲ山に
          なっていました。そのおかげで、外からでも竪堀や腰曲輪群のようすが見られたのは
          良かったのですが、工事が終われば雑草に埋もれてしまいそうな気がしてなりません。
           もともと北東麓から作業道が付いていたようで、訪城は容易です。件の竪堀や曲輪を
          横目に主郭下の帯曲輪までは行けましたが、肝心の主郭はド藪の中でした。主郭より
          西側も削平面や谷筋に3条の土塁状地形などが見受けられましたが、こちらは遺構か
          どうか留保が必要な感じです。
           主郭部から鞍部を跨いだ先端側にも小ピークがあり、2段に削平されているほか井戸
          や虎口の跡らしき地形も認められ、城域に含まれていたと推察されます。連龍が入った
          とはいえ穴水城攻めの陣城程度だったでしょうから、「久津呂」に通じるとみられる在地
          領主「崩」三郎左衛門の小規模な詰城としての姿を留めているものと思われます。

           
 北側から久津呂城跡を望む。
主郭部近望。 
竪堀跡や曲輪群跡が見て取れます。 
 竪堀跡を上から。
腰曲輪群。 
 主郭(左手奥)とその下の帯曲輪。
北尾根の腰曲輪。 
 主郭以西のようす。
 城域かは不明です。
谷筋の土塁状地形。 
やはり遺構かは不明です。 
 主郭部からの眺望。
 画面中央は万尾城跡。
先端側鞍部の虎口状地形。 
 先端側小ピーク下の井戸跡状地形。
2段五削平された先端側小ピーク。 


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