ロンドン塔 ( Tower of London ) |
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別称 : 女王陛下の宮殿および要塞、ホワイトタワー | |
分類 : 平城 | |
築城者: ウィリアム1世 | |
交通 : タワー・ヒル駅またはタワー・ゲイトウェイ駅 徒歩5分 |
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地図 :(Google マップ) | |
<沿革> 1078年、ノルマン朝初代イングランド王ウィリアム1世(征服王)により、支配権確立とロンドン防衛 のために築かれた。もともとロンドンにはローマ時代に建設された植民市ロンディニウムがあり、築城 にあたってはその市壁も外郭として取り入れられた。当初は木造だったが、ウィリアム1世の子ウィリ アム2世の代にはすでに石造に改められたとされる。 12世紀末から拡張工事が進められ、イングランド王ヘンリー3世が死去した1272年ごろには現在に 見る姿の原型がほぼ完成したとされる。このころから、ロンドン塔は身分の高い政治犯の監獄として も使用されるようになった(一般犯罪者の牢獄としては、1101年から使われていた)。1483年からは 処刑も行われるようになり、とくに1536年に斬首刑に処されたアン・ブーリンは有名で、今でも城内に アンの亡霊が出るという噂がある。 また、13世紀末から19世紀の間には、貨幣鋳造所や動物園、軍隊博物館などとしても利用された。 イングランド王の居所としては16世紀前半まで使われており、最後に自分の意志でロンドン塔に宿泊 したのはヘンリー8世とされる。現在もイギリス王家の所有であるが、2000年には実用の武器庫として の役割も終え、観光名所として以外の使用目的はほとんどなくなっている。 <手記> テムズ川北岸に広がっていたロンドンの旧市街南東隅にあったロンドン塔。夏目漱石の小説の題材 にもなっているくらい、日本人にはおなじみの観光地ですね。実際に名のある階級が処刑されたのは そう長い期間ではありませんでしたが、今では城の美しさ以上に城内で起こった悲劇の方が際立って いるようにも感じます。 2度ほど近くを通ったのですが、2度とも中には入らず終いでした。今となっては理由も覚えていない のですが…なんででしょう。やはり料金が高かったからですかね。物価が、というよりポンドがえらい 高いものですから、何でも日本よりかなり割高に感じた記憶があります。 タワー・ヒル駅からロンドン塔に向かう途中には、ローマ時代の市壁を転用した都城の城壁の一部 が残っています。城跡ファンとしては、むしろこちらの方が貴重かつ面白く思ってしまいました。 |
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堀越しにロンドン塔を望む。 | |
入口付近のようす。 | |
中央の城壁の塔を望む。 | |
タワー・ヒル駅近くの旧城壁。 |