三日月陣屋(みかづき)
付 三方里山演武場(さんぼりさん)
 別称  : 乃井野陣屋
 分類  : 陣屋
 築城者: 森長俊
 遺構  : 櫓、門、石垣、堀
 交通  : JR姫新線三日月駅徒歩15分


       <沿革>
           元禄十年(1697)、津山藩森家が改易となると、支藩の津山新田藩主森長俊が、石高は
          同じ1万5千石で播磨国内へと移され、三日月藩を興した。陣屋は同十三年(1700)に完成
          したとされる。陣屋自体は乃井野村にあったため、乃井野陣屋や乃井野藩とも呼ばれる。
           陣屋南西の三方里山(さんぼりさん)には、幕末期に兵士の訓練用として演武場が造営
          された。しかし、戦火に巻き込まれることなく、森家は9代を数えて明治維新を迎えた。


       <手記>
           志文川と本郷川の合流点に臨む、高台の谷筋に築かれた陣屋です。上階が張り出した
          二重の物見櫓と長屋が残ることで知られ、2003年には中御門や通用門も復元されました。
          やはり遺構である水濠に面して、これらの建物が一直線に並ぶ様子はとても異様を放って
          います。物見櫓は陣屋の建造当初にはなく、寛政三年(1791)までに増築されたとみられて
          いるそうです。
           また2018年には、西法寺に移築されていた表門が元の位置から少しだけずれて再移築
          されています。このように旧態を取り戻す整備が進められている一方で、残念なのが現存
          する武家屋敷群です。表門北東の通り沿いに、武家屋敷らしい土塀や棟門を有した家屋が
          数軒並んでいるのですが、いずれも今にも崩れ落ちそうに荒れてしまっていました。
           三方里山は公園となっていて、山頂に駐車場もあります。公園の東側と北東側に演武場
          の遺構とみられる石垣が残り、虎口のような開口部もあります。場内が公園化されている
          ので全体像は分かりませんが、ただの演武場とするには石垣が物々しい感じです。また、
          訓練だけが目的なら、わざわざ陣屋を見下ろす山の上に造る必要性もないでしょう。直感
          ですが、緊急事態に備えて、演武場の名のもとに陣屋の前方に構築された城砦だったの
          ではないかな、と考えています。

 中御門(復元)。
通用門(復元)。 
 物見櫓(現存)。
物見櫓、長屋、中御門と水濠。 
 陣屋跡近くの石垣。
 遺構かは不明です。
再移築された表門。 
 表門脇の堀跡。
武家屋敷群。 
 三方里山を仰ぐ。
三方里山演武場の石垣。 
 同じく虎口か。
三方里山公園北東側の石垣。 
 同じく虎口か。
園内の「史跡三方里山」碑。 
 三方里山から城下を俯瞰。


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