西谷城(にしたに)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 不明
 遺構  : なし
 交通  : 芦原温泉駅からバスに乗り、
      「平山」下車徒歩5分


       <沿革>
           『城跡考』によれば、城主は小山豊後守とされる。小山氏は興福寺大乗院領地であった
          坪江荘下ノ郷小山の在地領主とされ、文明年間(1469〜87)以降はその名が見られない
          ことから、『日本城郭大系』では南北朝の争乱で没落したとの見方を示している。ただし、
          文明年間まで存続したのであれば、応仁の乱および加賀一向一揆の争乱で滅んものと
          考えるのが妥当と思われる。


       <手記>
           『大系』によれば、西谷城跡とされる「館山」は西谷の集落に面し、東西を小沢が流れる
          舌状地形であったとされています。国土地理院地図の年代別航空写真を参照すると上に
          図示した範囲がそれに該当し、『大系』の地籍図は北と東が90度ずれているようです。
           現況は民家および畑地で、周辺の地形は造成により大きく改変され、遺構らしきものは
          見当たりません。西側の沢谷戸が、細い用水川として僅かに名残をとどめる程度となって
          います。小山氏の名が戦国時代には見えなくなっていることからも、在地領主の館の域を
          出るものではなかったのでしょう。

           
 西谷城跡現況。
西側の沢谷戸の名残。 
 先端下にあたる西谷公園。


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