宮津チャシ(みやづ)
 別称  : なし
 分類  : チャシ
 築城者: 不明
 遺構  : なし
 交通  : 「奥尻小学校前」バス停下車徒歩5分


       <沿革>
           宮津弁天宮の建つ岩山では、古くは9世紀ごろのオホーツク文化の土器が発見されている。
          宮津は古くは「茶津」と呼ばれ、これは「チャシ」の転訛といわれている。16〜17世紀ごろには
          砦が築かれていたと推測されているが、明確な遺構は検出されていない。
           『日本城郭大系』によれば、天保八年(1837)の古絵図に「チャチ」の表記がみられるという。
          これに先立つ文政年間(1818〜29)には、地元の漁民によりチャシ跡に弁財天が祀られた。


       <手記>
           奥尻島の北東部に宮津地区があり、その海岸に嫌でも目に付くポッコリと突き出た小さな
          岩山があります。これが宮津チャシ跡の宮津弁天宮です。道路沿いに説明板が設置されて
          いて、そこから長い階段を下って登ると本殿前に出ます。
           城砦としての遺構はみられません。というより、チャシは堀を巡らして郭とするものが多い
          ので、その必要もないこの岩山であれば、立てこもっていれば十分ということなのでしょう。
          ただし、水源はないので囲まれればそれまでで、砦としての実用性は正直疑問符です。
           宮津から奥尻島北端の稲穂岬にかけての海岸は、北海道本土との距離が最も短くなり
          ます。したがって『大系』でも指摘されている通り、魚群探知や航行監視の番所とみるのが
          妥当なのではないかと考えられます。
           ただし、『大系』で当時の奥尻島に定住者はなく、宮津チャシなどはあくまで出張所である
          ように仄めかしている点については留保が必要と思います。『大系』では島内にアイヌ由来
          の地名が見られないことを理由として挙げていますが、青苗や初松前、藻内、幌内、海栗前
          (のなまえ)といったアイヌ語の「〜ナイ」「〜マイ」にちなむと思われる地名は十分散見され
          ます。そもそも「オクシリ」自体がどう考えてもアイヌ系です。なので、宮津の特徴的な岩山
          が古くからアイヌの間で特別な意味を持っていたとしても、不思議ではないように思います。
           ちなみに、奥尻島は外周が70kmほどある大きな島です。私は奥尻のセンター街で自転車
          を借りて行きましたが、20分以上かかりました。ご来訪の際は、島の大きさをナメないように
          注意してください。

           
 宮津チャシ跡の宮津弁天宮。
 奥に見える稜線は渡島半島。
弁天宮本殿。 
 説明板。チャシについても触れられています。
弁天宮から宮津集落を望む。 


BACK