元島名城(もとしまな)
 別称  : 島名城
 分類  : 平城
 築城者: 島名伊豆守
 遺構  : 堀跡
 交通  : 関越自動車道高崎ICより車で5分


       <沿革>
           応永年間(1394〜1428)に、島名伊豆守によって築かれたといわれる。島名氏は武蔵七党の
          1つ児玉党の一流で、児玉党系図によれば山名親行の子家親にはじまるとされる。島名氏の
          動向については詳らかではない。
           戦国時代後期、武田氏の家臣であった武蔵国御嶽城主長井政実は、武田信玄の死後この地
          に本拠を移したとされる。天正十年(1582)に武田氏が滅ぶと、政実とその子信実は、北条氏に
          逐われて越後へと落ち延びた。これによって、城は廃されたとされる。

       <手記>
           元島名城は、南に井野川、西にその支流の小川が流れる河岸台地上の城です。小川を背に
          した上図の緑円付近を本丸とし、東は眼聖寺、北は土地改良事業記念碑あたりまでが城域と
          されています。
           土地改良事業によって、遺構はほとんど消滅しています。計画に先立って発掘調査が行われ、
          『日本城郭大系』によれば「多大な成果を収めた」とのことですが、現地には城跡を示すような
          ものもなく、成果のほどをうかがい知ることはできません。
           本丸跡と思われる民家の周囲には、堀跡と思われる一段低い区画が巡っています。また、
          本丸東側にも堀跡かと思しき低まった田畑が散見されます。発掘調査時には眼聖寺の周囲に
          土居が巡っていたそうですが、現在ではそれも失われているようです。


           
 本丸の堀跡と思しき低まった区画。
城の北東端にあたる眼聖寺。 


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