鍋蓋砦(なべぶた)
 別称  : 鍋蓋城
 分類  : 平城
 築城者: 不明
 遺構  : 不詳
 交通  : しなの鉄道田中駅よりバス
       「山根入口」バス停下車徒歩5分
       (「北御牧総合支所前」バス停乗り換え)


       <沿革>
           伝承によれば、天文年間(1532〜55)に武田晴信がここに陣を布いたとされる。鍋蓋
          の名は、土地の形状が鍋蓋に似ているからとも、陣を発った際に鍋蓋が置き忘れられ
          ていたからとも伝わる。
           『日本城郭大系』では「居館」と推測しているが、詳細は不明である。


       <手記>
           鍋蓋砦のある八重原台地は、周囲を千曲川とその支流に深く浸食されたていますが、
          その台地上はなだらか且つ広大で、田畑や家屋が悠々と立ち並んでいます。砦の周囲
          には水田が広がり、水も豊かです。とてもここが、麓から200m近くも上った台地上とは
          思えないくらい、開発に適した土地といえます。
           他方で、軍勢が陣を張るのに適しているかというと、ちょっと疑問です。現地説明板に
          は、台地の周囲は三方が急崖になっているので眺望に優れているとありますが、少なく
          とも鍋蓋砦の丘からは、台地の外側を望むことはできません。千曲川沿いの情勢を探る
          という点では、周囲にもっと適した丘や崖端がいくらでもあるため、陣が置かれたという
          伝承は眉唾物です。
           他方で、地図からも分かる楕円形の地形以外、とりたてて遺構らしきものは見当たり
          ません。説明板と標柱の脇には、信玄乗馬のものとされる馬蹄形の窪みのついた石が
          ありますが(駒石)、これも当時の物かは分かったものではありません。
           中央の最も高まったあたりには、段差がところどころ見受けられますが、遺構か畑地
          整備によるものかは判じかねます。
           私の見たところ、鍋蓋砦はまた周囲を別の丘に囲まれており、在地領主の居館ないし
          環濠集落跡と見るのが妥当ではないかと考えています。

           
 鍋蓋砦跡を望む。
砦跡標柱。 
 中心部付近の段差。
 遺構かどうかは不明。


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