岩塚城(いわつか)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 吉田重氏
 遺構  : なし
 交通  : 市営地下鉄東山線岩塚駅からバスに
      乗り、「岩塚石橋」下車徒歩5分


       <沿革>
           斯波氏の一族吉田治郎左衛門重氏によって築かれたと伝わる。吉田氏の系譜に
          ついては詳らかでない。重氏の跡は、守氏・元氏と続いた。
           元氏は織田信長に仕えたが、永禄十一年(1568)に伊勢で戦死した。岩塚城は、
          元氏死後に廃城になったとみられている。
           元氏の子九郎左衛門は、後に信長の子信雄に仕えた。天正十九年(1591)に旧領
          岩塚に戻り、七所社の北西に住したとされる。


       <手記>
           岩塚城は遍慶寺付近にあったとされ、門前に城址碑と説明板が設置されています。
          それによると、上述の通り廃城後に吉田九郎左衛門が七所社の北西に居を構えた
          とありますが、『日本城郭大系』では、岩塚城が社の北西にあったと考察しています。
          「七所社の北西」の典拠が不明なのですが、遍慶寺の東に「城前」の小字が残って
          いることから、やはり城はこのあたりにあったと思われます。他方で、七所社の北西
          には「本陣屋敷」の小字がみられ、現地説明板の通りこちらには九郎左衛門の居館
          が置かれたのでしょう。
           他方で、『大系』には七所社の棟札に、岩塚城主吉田守重が応永三十二年(1425)
          に社を修復したと記されているとあります。これが正しければ、岩塚城および吉田氏
          は重氏以前から存在していたことになります。

           
 遍慶寺と岩塚城址碑。
門脇の説明板。 


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