南部藩陣屋(なんぶはん)
 別称  : 南部陣屋、南部藩元陣屋
 分類  : 平山城
 築城者: 南部藩
 遺構  : 不詳
 交通  : 函館市電「十字街」電停徒歩10分


       <沿革>
           寛政十一年(1799)、江戸幕府はロシアの南下を受けて蝦夷地の大半を松前藩
          から上知した。同年、幕府から箱館(函館)警備を命じられた南部藩は、函館山の
          麓近くに陣屋を建設した。在任中に陣屋は増築され、最終的には3段構えの規模
          となった。現地説明板によれば陣屋の建物は極めて粗末で、越冬の厳しさから病
          に臥せる藩士が続出したとされる。
           文政四年(1821)に蝦夷地が松前藩領に復帰すると、陣屋は廃止となった。
           安政元年(1854)に日米和親条約が結ばれ、箱館が開港されると、翌二年(18
          55)に箱館を含む蝦夷地の多くは再び幕府に収公された。南部藩も再び蝦夷地
          警備を命じられ、箱館の陣屋を修築して再利用することにした。陣屋には300人弱
          ほどの藩士が常駐していたとされる。
           慶応四年(1868)の戊辰戦争に際して、南部藩は奥羽列藩同盟には加わらず
          日和見を続けていたが、八月に入って同盟側での参戦を表明した。これに伴い、
          蝦夷地の南部藩兵も国元へ帰還することになり、八月十一日夜に、藩士は陣屋
          に火を放って帰国した。翌年には箱館は箱館戦争の主戦場となったが、陣屋が
          再び取り立てられることはなかったものとみられる。


       <手記>
           ロープウェイの山麓駅まで延びる急坂を南部坂と呼び、坂に隣接する陣屋跡は、
          現在ロープウェイの駐車場となっています。坂沿いに城址碑と説明板が設置され
          ています。
           駐車場は3段に分かれており、陣屋時代の記述と合致します。その周囲は石垣
          で覆われているのですが、積み方や石の断面をみると、どうも近年になってつくら
          れたもののようです。当時の蝦夷地内の他の陣屋をみても、総じて土塁とされて
          いるので、南部藩陣屋だけ総石垣造りだったとは考えにくいように思います。
           したがって、駐車場の3段が陣屋のものをそのまま使ったものであるとすれば、
          削平面が一応遺構として残っているといえるものと思われます。
           やれ建物が粗末だの病人が多数出たなどと散々な南部藩陣屋ですが、立地を
          みる分には、函館を治めるには妥当な選地だと思います。松前藩が函館に居城
          を移す計画があったといわれていますが、もし実行されていたとすれば、南部藩
          陣屋と同じあたりに陣屋造りの城が築かれたのではないかな、と想像されます。

           
 陣屋跡石碑。
陣屋跡現況。 
 再下段から模擬(?)石垣越しに函館山を望む。


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