ヌフ=ブリザック
(
Neuf-Brisach )
 別称  : ノイ・ブライザッハ
 分類  : 要塞
 築城者: ルイ14世
 交通  : コルマール駅またはブライザハ駅から
      バスに乗り、「ヌフ=ブリザック」下車
 地図  :(Google マップ

       <沿革>
           1697年、大同盟戦争の講和条約であるレイスウェイク条約に従って、フランスはライン右岸の
          ブライザハをハプスブルク帝国に返還した。これによって新たなアルザス防衛の拠点が必要に
          なった国王ルイ14世は、要塞設計家として名高いセバスティアン・ル・プレストル・ド・ヴォーバン
          とジャック・タラドに、ブライザハに代わる要塞都市の建設を計画させた。ヌフ=ブリザックとは、
          新ブライザハの意である。
           3つの原案から八角形の設計図が採用され、1699年から本格的な工事が始まった。石材を
          調達するため、ヴォージュ山脈から運河が開削され、1702年に主要部が完成している。しかし、
          翌1703年にフランス軍がスペイン継承戦争に伴いブライザハを攻め落としたため、計画されて
          いた外側の環状要塞は建造されなかった。
           建設計画が完遂されなかった結果、堀の排水が滞ってマラリアなどの疫病が蔓延した。排水
          システムの改良は1726年まで続けられ、空堀の底は庭園や牧草地として利用された。1736年
          には要塞都市の中心にサン=ルイ教会が、1758年には市庁舎が完成している。
           この間、1714年のバーデン条約によってブライザハが再びハプスブルク家に返還されたが、
          オーストリア継承戦争さなかの1741年に、フランスが再度ブライザハを占領した。翌1742年の
          ブレスラウ条約でプロイセンと講和したオーストリアは、1743年にライン右岸を回復し、ロレーヌ
          (ロートリンゲン)公レオポルトの子カール・アレクサンダーにアルザスへ攻め入らせた。ヌフ=
          ブリザックはオーストリア軍に攻囲されたが、翌1744年にプロイセンがボヘミアへ進軍したため
          (第二次シュレージエン戦争)、オーストリア勢は撤退を余儀なくされた。
           以後120年以上にわたって、ヌフ=ブリザックが軍事的・政治的に重要な役割を果たすことは
          なかった。普仏戦争さなかの1870年10月7日から11月10日にかけて、ヴィルヘルム・フォン・
          シュメリング将軍率いる1万5千のプロイセン・ドイツ軍がヌフ=ブリザックを包囲した。要塞には
          5500名の守備隊がいたが、9日間の砲撃を受けて降伏した。住民に死傷者は出なかったが、
          280棟の建物のうち、無傷で残ったのはわずか15棟であったとされ、要塞も大きく損傷した。
           翌1871年にドイツ帝国が成立すると、アルザスはドイツ領となった。ヌフ=ブリザックは再建
          されたものの、もはや要塞としては無用かつ時代遅れとなっていた。市内には軍の駐屯地が
          置かれ、アルザスがフランス領に復した後も存続していたが、1992年に至って廃止された。


       <手記>
           ヌフ=ブリザックは世界遺産「ヴォーバンの防衛施設群」に登録されている12の構成資産の
          なかでも、とくに保存状態の良い要塞都市といえるでしょう。当然ながら稜堡に囲まれている
          要塞都市は発展性に乏しく、観光名所となっているようなところでも後世の復元が多いなか、
          ここは奇跡的に基本構造が現役時代から変わらず保たれています。
           トップ画像の航空写真の通り八角形の城壁および稜堡群を基調とし、その外側にも8基の
          半月堡を配置して、二重の堀で防備を固めた、クンショウモのような十六稜郭をしています。
          また、8基のうち4基は半月堡自体が二重になっていて、堀で上下2段に分かたれています。
           内堀については散策路として整備され、ぐるっと1周できますが2.3kmほどあるらしく、40分
          程度はかかるでしょう。とにかく巨大な城壁と堀と稜堡に目を奪われるものの、同じような景色
          が続くので、だんだんとゲシュタルト崩壊してくるのが難点の一つです。市民にとっては格好の
          お散歩コースのようで、犬を連れた人たちと何組か出会いました。
           かつては北西側に張り出し曲輪があり、郭内を上述の運河が通過しており、搬出入および
          補給用の出郭であったと推測されます。今日では曲輪は失われていますが、ヴォーバン運河
          と名付けられた小川がさらさらと心地よく流れていました。
           要塞内には普通に人々の営みがあり、サン=ルイ教会や旧市役所などの歴史的建造物と
          並んでスーパーやレストラン、病院なども建っています。日本なら高層マンションでも建ちそう
          なものですが、街並みもほとんど変わらず、人口も2000人台で推移しているようです。ただ、
          とにかく街への出入りが面倒なので、いかに城好きとはいえ私はあまりここに住みたいとは
          思いませんでした^^;
           ちなみに、稜堡をかすめて鉄道が通っていますが、旅客輸送はしていないようです。街へは
          コルマールないしブライザハからバスに乗るのが、唯一の公共交通機関となっています。

  
 南東辺のバール門跡。
バール門東側の内堀と城壁。 
 同じく西側。
外堀と稜堡群。 
 二重になっている半月堡の空堀。
半月堡の先端部。 
 稜堡の先端部と外堀。
内堀沿いの城壁上のようす。 
 外堀底のようす。
外堀と稜堡の角。 
 外堀から東端の半月堡を望む。
東端の半月堡に上がる。 
 稜堡の上から内堀越しに城壁角を望む。
東辺の内堀の散策路。 
 北東辺のストラスブール門跡。
北東辺の内堀の散策路。 
 北端の城壁角。
北西辺のコルマール門。 
 コルマール門から入った先にある弾薬庫跡。
コルマール門前の外堀のようす。 
 北西の張り出し曲輪跡を流れるヴォーバン運河。
西辺の稜堡内部を覗く。 
 南西辺の内堀。
南西辺のベルフォール門。 
 ヴォーバン博物館となっているベルフォール門の建物。
サン=ルイ教会。 
 武器庫跡。
旧市役所。 
 ヌフ=ブリザックの全体図。
城跡で飲むビールは最高だぜ! 
中央広場前のレストランで一杯ひっかけただけですがw 


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