ニーダーブルク城 (Niederburg) |
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別称 : ノイエンブルク城、ニーデルンブルク城、 ウンターブルク城など |
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分類 : 山城(Höhenburg) | |
築城者: ゲルラッハ・フォン・イーゼンブルク | |
交通 : コーベルン=ゴーンドルフ駅徒歩30分 | |
地図 : (Google マップ) | |
<沿革> 12世紀末、帝国騎士(ライヒスリッター)のゲルラッハ1世・フォン・イーゼンブルクは、 コーベルンの在地領主であったコーベルン伯の娘と結婚し、ニーダーブルク城を築いた といわれる。当初はノイエンブルク(「新城」の意)と呼ばれた。1195年にトリーア大司教 が封地として認めたリストのなかに、史料として初めて登場する。 13世紀には、イーゼンブルク=コーベルン家の男系が絶え、遺領は女系子孫に受け 継がれた。この系統はノイエンブルク家を興したが、こちらも1309年に男系が途絶え、 1350年にはトリーア大司教が城を買い取った。 その後、城主家はコーベルン家、ヴァルデシュ家、エルツ家、ライエン家と目まぐるしく 替わった。プファルツ継承戦争が始まった1688年に、ニーダーブルク城はフランス軍に よって破壊され、そのまま廃城となった。 1830年には、城の廃墟が15ターラーで払い下げられた。 <手記> ニーダーブルク城は、コーベルンの町を見下ろす高台に築かれています。峰続きに 50mほど登ると、同じイーゼンブルク家によって築かれたとされるオーバーブルク城の マティアス礼拝堂があります。ニーダーブルクとは「下の城」、オーバーブルクとは「上 の城」という意味で、両者は同時期に築かれたとみられていますが、今日の呼び名が いつごろ定着したのかは詳らかではありません。 ライン川沿岸の城の多くはプファルツ継承戦争以降にフランス軍によって破壊されて いますが、後にメルヘンチックな新様式で再建されたものも少なくありません。そうした なか、ニーダーブルク城は後世の手が加えられず廃墟のままで残っているので、中世 古城の面影をひときわとどめているように感じました。 |
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ニーダーブルク城を望む。右手奥はオーバーブルク城のマティアス礼拝堂。 |