ニュルンベルク城 ( Nürnberger Burg ) |
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別称 : カイザーブルク城 | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 不詳 | |
交通 : ニュルンベルク中央駅より徒歩20分 | |
地図 :(Google マップ) | |
<沿革> ニュルンベルク城がいつごろ築かれたのかは定かでない。ニュルンベルク市が史料に 登場するのは1050年のことであるため、それ以前に都市の成立とほぼ同時期に原型と なる城塞が存在したものと推測される。 1105年に神聖ローマ皇帝ハインリヒ5世によって包囲されたのが、ニュルンブルク城が 史料にみられる初出である。1130年には、ドイツ王ロタール・フォン・ズップリンクブルク (後の神聖ローマ皇帝ロタール3世)による数度の包囲戦の後に攻め落とされた。 ロタール3世の次のドイツ王コンラート3世の代から、ニュルンベルク城は皇帝の居城の 1つとして整備された。後にラープス家が城主家に任じられ、ニュルンベルク城伯となった。 1190年にコンラート2世・フォン・ラープスが嗣子なく没すると、婿のフリードリヒ1世・フォン・ ツォレルンが城伯を継いだ。 13世紀にニュルンベルク市の自立が進むと、城の管理も市に委ねられるようになった。 ツォレルン家は勢力を拡大してホーエンツォレルン家を称したが、並行してニュルンベルク 市との間に軋轢を生じるようになった。 1420年、ニュルンベルク市を支持するバイエルン公ルートヴィヒ7世の軍勢によって、 城は破壊された。ニュルンベルク城伯フリードリヒ6世(ブランデンブルク選帝侯フリードリヒ 1世)は城を再建することはせず、1427年にニュルンベルク市に売却した。 16世紀前半には要塞化が進められ、17世紀の三十年戦争では何度も戦場となったが、 陥落することはなかった。戦後、攻略戦の戦術変化から城塞としての価値を徐々に減じて いった。1806年にはバイエルン王国の所有に帰した。 19世紀前半に、保存・補修も兼ねて大規模な改築工事がなされた。しかし、第二次世界 大戦の空襲により城をはじめニュルンベルク市は壊滅的打撃を受けた。戦後、バイエルン による破壊以前の姿で復元された。 <手記> ニュルンベルク城は、平行四辺形に近い格好のニュルンベルク旧市街の北西隅に位置 しています。旧市街の中央を東西にペグニッツ川が貫通しており、当初は川に臨む高台の 城でした。ニュルンベルクはバイエルン州第2の大都市ですが、ドイツの大都市は大河と セットになっていることが多いなかで、ペグニッツ川はマイン川の支流の支流に過ぎず、 お世辞にも大きな河川とはいえません。これは、ニュルンベルクが水運ではなく、陸路の 交易路の交差点として発展したことによるものです。 旧市街はほぼ完全に城壁と堀で囲まれていますが、前述のとおり第二次世界大戦で 破壊されているため、そのほとんどが復元によるものです。旧市街内部も、川の北側は 中世の雰囲気のままで復興されていますが、南側には近代的な建物が目立ちます。 とはいえ、戦後復興期に中世の街並みを残して再建しようというのは日本ではまったく みられなかった姿勢ですので、その努力と再現度には感嘆します。 城は、玄関口に付属している博物館は出入り自由ですが、館の内部は1時間半おきの ツアーで入ることができます。ドイツ語のみでオーディオガイドもないので、時間に余裕の ない方は無理して参加する必要はないかなとも思います。このツアーでしか見られない もののなかで特筆すべきは深井戸です。一旦館を出て別棟に移動するのですが、鍵が かかっているので自由には見学できません。ツアーでは、ガイドさんが井戸の底近くまで 燭台を下ろし、タンブラー一杯の水を注ぎます。すると、5~6秒くらいして井戸の水面に 落ちる音が聞こえてきます。深さはだいたい50m弱くらいだそうで、必ずしも世界屈指の 深さというわけではありませんが、水を落としてくれるサービスというのは珍しいと思う ので、体験する価値は大いにあるでしょう。 市街を取り囲む城壁は大部分を歩くことができます。しかし、ほとんど復元と分かって いる上にだいぶ小奇麗なので、私ですら半分ほどでさすがに飽きてしまいました(笑)。 |
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城南西麓(デューラーハウス付近)から城を望む。 | |
南東登り口から城を見上げる。 | |
城の中庭。蔦の這う建物上階が博物館。 | |
博物館内の中世のニュルンベルク城模型。 | |
深井戸。燭台がカラカラと下りていきます。 | |
城から旧市街を望む。 | |
旧市街外郭の城壁、稜堡、堀。 | |
旧市街南端の城門。 | |
おまけ:ニュルンベルク随一の名所旧救済院(今はレストラン)。 |